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押し絵と旅する男

以下の文章は自分の読書感想を思いつくまま書いたもの。個人の主観を多分に含んでいるため、苦手な方は回れ右してください。ネタバレあり。

本の情報(読了日1/18)

書名:押し絵と旅する男
作者:江戸川乱歩
出版社:青空文庫
ASIN:B01BWJFNPE

いわずとしれた、江戸川乱歩の短編小説。主人公がとある電車の中で同乗者の男の持ち物、絵画を見せてもらうという内容。

自分は、これまで何度もこの話を読んでおり、江戸川乱歩の作品の中で一等好きなものの一つである。他の作品と比べておどろおどろしいところはとくに見受けられないが、純粋で狂気じみた内容が気に入っている。

注意!ここからネタバレあり。物語詳細を知りたくない人はここで回れ右してください。

この話において人の情念の物語だと思う。自分は、恋愛できない人種だ。そのためか、恋愛についての見方が世間一般とはかなり異なる。ひと目見た女性に対し、一生を捧げると決意した兄は本当にすごい決断をしたなと思う。恋煩いというのは一種の病気だと思う。考えすぎてご飯も食べられなくなるなんてうつ病と似ていると感じる。その状態での兄の決断は自分には、自殺行為のように見える。

自分は押絵の女性に注目したい。果たして、彼女は幸せなのか?ともに描かれた小姓の代わりに人間の男、それも見知らぬ他人が自分とともに時を過ごす。恋煩いするまで己を慕ってくれる男だから悪い気はしないだろう。しかし、消えた小姓に対する思いはどうだろうか。小姓は女性にとって同志のような男だったのか。あるいは、一辺倒の美辞麗句を重ねるだけの男だったのだろうか。

男という生き物は女性にとって気が利かない厄介な生き物になりうるそうだ。小姓は絵に描かれていることから本物の男以上に愚鈍で話下手な男の可能性が高いと思う。したがって、もしかして女性は小姓に飽き飽きしていたのか?仕方ないからともに時を過ごしていたのか?熟年夫婦では子育てをともに行うことで夫の気の利かなさを実感し、離婚したいが生活のために諦めている、冷えきった妻の感情は珍しくない。もしや押絵の女性もこの感情の段階だったのかもしれない。

そうすると、押絵の女性は非常に新鮮な気持ちで老人の兄を迎えたのではないか。普段、己が見ている世界の人。自分を生み出した人と同じ世界の人。美しく純粋で、熱量ある感情に心酔したのではなかろうか。時がたち自分と違って老いる彼を哀れに思いながらも、多くの景色を見られることで満足していると考察できる。老人がともに旅をしていることで、蔵に何年もしまわれる心配はなく新しく老人の兄の代わりが現れる可能性もある。彼女は幸せだ。自分はこう結論づけよう。

人の情念は凄まじく力のあるものだ。ある人を永遠の美女と過ごせる代わりに、変わらぬ彼女を前に自分だけ醜く老いていく牢獄に閉じ込めたのだから。老人とその兄の2人の登場人物により情念の力の大きさを強調しており、それらはもはや狂気に思える。主人公が一般の人であるから、その感情がより強く感ぜられる。2つの比較対象によりこの押絵の物語を取り巻く感情はより強調されて見える。これが、この作品が後世まで残っている理由の一つではなかろうか。


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