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切磋琢磨ということば

今も昔も、哲学的な本を読むのが好きです。
言葉にならない思索のペーストに、名詞を与えてくれる気がするから。

お久しぶりです。初めましての方は初めまして、そうでない方もご無沙汰初めまして。旅する小説家の今田ずんばあらずです。

『論語』はいいぞ。

最近『論語』を再読しています。
「『論語』は古い」とおっしゃる方もおられるかもですが、
個人的には、古い視点で読めば古くなるし、新しい視点で読めば新しくなるし、自分の目で読めば自分のものになると思ってます。
どんな本でも言えることですね……!
というわけで『論語』はいいぞ。

読書記録を辿ると、一読目は2014年、つまり6年前に読んだらしい。
そのとき読んだのは岩波文庫版『論語』金谷治訳注https://www.amazon.co.jp/dp/product/4003320212/ref=as_li_tf_tl?camp=247&creative=1211&creativeASIN=4003320212&ie=UTF8&linkCode=as2&tag=bookmeter_book_image_image_pc_login-22

で、今読んでいるのは講談社学芸文庫版『論語新釈』宇野哲人
https://www.amazon.co.jp/%E8%AB%96%E8%AA%9E%E6%96%B0%E9%87%88-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%AE%87%E9%87%8E-%E5%93%B2%E4%BA%BA/dp/4061584510

です。シンプルに楽しみたいのなら岩波文庫版を、人の釈で新しい発見のヒントを得たいのであれば講談社学芸文庫版をオススメしたいものです。

「切磋琢磨」ってことばが最近頭のなかでぐるぐるしている。

さて、この『論語』のなかに、四字熟語「切磋琢磨」について触れられています。
第一巻、学而第一の一五番目です。

「切磋琢磨」
勉強や仕事、スポーツなどなど、道を志す者同士、励まし合い高め合う……そんなニュアンスで用いられることばかと思います。

ではちょいとここらで、「切磋琢磨」について語られた内容を引用してみましょう。
(書下し文と句読点付きの白文は講談社文庫版から、現代語訳は岩波文庫版、講談社学芸文庫版を折衷したずんば訳です)

【書下し文】
子貢[しこう]曰はく、「貧しうして諂[へつら]ふことなく、富んで驕[おご]ることなきはいかん。」子曰はく、「可なり、未だ貧しうして楽しみ、富んで礼を好む者に若[し]かざるなり。」子貢曰はく、「詩に云はく、『切るが如く磋[みが]くが如く、琢[う]つが如く磨[と]ぐが如し。』と。其[そ]れ斯[これ]を之[こ]れ謂[い]ふか。」子曰はく、「賜[し]や、始めて与[とも]に詩を言ふべきのみ。これに往[おう]を告げて来[らい]を知る者なり。」

【白文】
子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如。子曰、可也。未若貧而樂、富而好禮者也。子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂與。子曰、賜也、始可與言詩已矣、告諸往而知來者也。

【ざっくり現代語訳】
子貢が尋ねた「人は貧しくなると卑屈になって媚びを売るようになるし、お金持ちになるといばり散らす人って多いですよね。だから貧乏でも媚びへつらわない人や、お金持ちでもいばらない人ってすごくいいなって思うんですけど、先生はどう思います?」
先生は答えた「いいねえ。だがしかし、貧しくてもその人生を楽しみ、裕福でも礼を弁えてそれを好む人には及ばんね」
子貢はそれに対して「あっ、それ『詩経』にもありましたね。『骨や角を切るように、そしてそれを磋[みが]くように……玉や石を琢[う]つように、そしてそれを磨[と]ぐように……』先生の言葉は、ちょうどこの詩のことを言ってるんですよね!」
先生は喜んで言った「おお、賜よ! 一緒に詩の話をできるってもんだ。さっきの話をしたあとで、その詩を引っ張り出そうと思ってたんだから」

内容を整理すると、
(前提として)媚びへつらう人や、驕る人より、
媚びへつらわず、驕らない人のほうがよく、
それよりも人生を楽しむ人、礼を好む人のほうがよい。
(そしてそれは「切磋琢磨」ということばを引き合いに出すことができる)

……この内容を一読するだけでは、「どうしてここで切磋琢磨ということばを引き出したのか?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
人生ウェイ系のパリピ並みにエンジョイすることが「切磋琢磨すること」なのか? 切磋琢磨のイメージって、もっとこう、修業的なかんじがするんですが……と。

切磋琢磨とは

さて、ここで子貢が引用した、あるいは先生が引用しようとした「詩」とはなにか、が気になるところですが、
これは『詩経』に収録されている衛風の詩「淇奧」です。
http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_92.html

春秋時代(あるいは周末期)、衛の武公を、竹に見立てつつ徳を謳う、美しい詩です。
その武公は「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如し」としています。
角を切ってみがき、石をうって磨ぐように、自身を研鑽しているということでしょうか。
切磋琢磨するというのは、励む人なんだろうなというニュアンスは伝わってきますね。

ということは、「人生を楽しむ人」「礼を好む人」というのは、自己を磨いて励む人、なのだと推測できます。
人生ウェイ系的な楽しみ方ではなくて、自己研鑽的に人生を充実させてる人ってことなのか。生きる姿勢とも捉えられる。

ちなみに『論語』では、「知」「好」「樂」というワードがよく出てきます。
顕著なのは、「雍也[ようや]第六」にある「子曰く、之を知る者はこれを好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」でしょうか。

自分はもの書きなので「之」を「ものを書くこと」に置き換えると
「ものを書くことを知る者は、ものを書くことを好む者には及ばない。ものを書くことを好む者はものを書くことを楽しむ者には及ばない」
といった具合です。
自分はどこにいるんだろうかなあ。
※ただし、「知る者」が悪いわけではありません。なにも知らない(≒愚)でいる者はよろしくありませんが。
※ここらへん、「無知の知」を思わせますね。#妄想

「知」「好」「樂」で、能動的な具合が異なります。
「知」は比較的受動的で、「好」はその中間、「樂」は能動的で積極的で、傍から見ても分かるくらいには行動にあらわれています。

以上のことを踏まえて、再び子貢と先生の話を振り返ると、
確かに媚びない人、驕らない人は知的であるし、それはそれでいいが、
それに加えて人生を楽しむ人のように積極的で、礼を好む人のように、その「知」が表に出ているほうがより良いのだ……。
と、そんなふうに解釈できるようにも思えます。

また、ちょっと余談になるのですが、
「切磋琢磨」の四字は、それぞれ別のもの、別の工程を示しています。
「切」は骨や角を切り出すこと。
「磋」はそれをみがくこと。
「琢」は石や玉を切り出すこと。
「磨」はそれをみがくこと。
です。

骨や角を切り出す前にみがくことはできませんし(できたとしても不格好で非効率です)、
玉を磨く道具で角を磨くことも適しません。

「切磋琢磨」を読み解くと、
段階や順序、方法を大切に、一歩一歩着実にステップアップしようね、
と言い聞かせてくれてるように思えてなりません。

ずんばも「貧しうして楽し」めるような人間になるためにも、
原稿の〆切までの日数を、うきうきわくわく楽しみながら数えていきたいと思います♪
(原稿白)

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湘南・大磯を舞台にした、
四季巡る青春小説、その第一章。

◤ ──好きです。
   を、伝えたいから。 ◢

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