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FtMになる準備

ぽつぽつと
若さそのままみたいな回想を


201×年8月、1年間のドイツ留学から帰ってきた。帰りの飛行機が墜落することを願ったのに、そのまま成田空港に着いてしまった。熱帯夜だった。友人(という言葉で濁す)が待ってくれていた。バックパックが壊れるほどの荷物を背負ったまま、抱きしめた。

翌朝、ジェンダークリニックに電話をかけた。久しぶりの日本語、久しぶりのスマホ。これから“FtM”になる。

久しぶりの大学。銀行口座の残高を確認したら、確か120円くらいだけあった。ドイツで自殺する予定だったので、留学前に有り金ほぼすべて使い果たしていた。口座をしめてもよかったけれど、あとで親に知られて“あの子は最初から死ぬ気だったんだ”と鬱蒼としたストーリーを作られるのは嫌なので、ほぼ空の口座は形だけ残しておいた。なんでもないことのようにするりと消える準備はいつでもしていた。大学の交換留学生という身分なのに死者になってしまったらドイツ好きの後輩たちの進路を断つようで可愛そうだなぁと思うだけの平常心があった。好きだった小説や詩集はすべて友人にあげた。ミニマリスト、という単語は当時知らなかったけれど、遺品整理の一環としてミニマリズム的に研ぎ澄まされていった。胸も女性器も、ミニマリズムに則って、不要であるといえる。それにこれから“FtM”になるならば(!)そう思えた方が合理的なんだろう。

当時の自分を救ったのはミニマリズムとフェミニズムであり、だから生温い流行りや寝言でそれらを口ずさむ他人は許せなかった。フェミニストである友人と会うことになった。最初に「男になる」と言ったら、「絶対カッコいいじゃん!」と無根拠に励ましてくれた友人。

「女友達はキミしかいないと思っていたけれど、男になるって言うし......」といった内容をその友人と、さらにもう一人の友人に言われた。自分よりよっぽどFtMなんじゃないかと思う“女性”は周囲に3人くらいいた。

それでも“彼女たち”は女性のまま生きていくのに、自分だけなぜ男になるのか全くわけが分からない。“男である”なんて実感したことがないので、“男になる”という言い方をする。それは性同一性障害の概念とはずいぶん遠いようなので、自分は覚悟を固めるまでに2×年無駄にした。

金がなかった。家がなかった。一ヶ月友人宅に居候させてもらい、とりあえずのバイトで繋いだ。安くて大学に近いという理由で、女性用シェアハウスに住むことになった。契約期間の後半は男性ホルモンを始めて大変居心地の悪い思いをすることになるのだが、野垂れ死ぬ前に家が必要だった。お世話になった友人たちにはいつか返したいと考えているけれども、さらに手術が熱望の先に具現化されてくるにつれて、ますます金銭的に自由がなくなってしまうのが現状である。

誰にも自分を認知されたくなかった。特にトランジションの過程を他人に晒したくない思いがあり、派遣バイトを3つほど掛け持ちして、変化が悟られるほど一箇所にとどまることがないようにした。いつでも忘れていい、いつでも捨てていい。あなたがそうしてくれるのならば、こちらも躊躇いなくそうできるから。

そうしてそれから色々あるのだけど、ひとまず男になる前にFtMにならなければならなかった。否応なく。とても疲れてしまったなかでも縋る藁がそれしかなければそうするというだけの話だ。



ぼくはもう疲れたよ。

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