『レイチェル: 黒人と名乗った女性』

Netflixドキュメンタリー。面白かったです。

白人の両親のもとに生まれ、自らを「黒人」と自認し主張した女性。感想つらつら書きます。

トランスジェンダーが周知される現代では、
トランスレイシャル(私は白人ではなく黒人だ!)、
トランススピーシーズ(私は人ではなく犬だ!)、
身体完全同一性障害(この足は自分のものじゃない!)
など自認でしか語れないような他の属性も想定されてきた。

じゃあ「本当は死んでるはずなのに生きてる!」と混乱するパターンもあるだろうに、他人がどう判別するんだ。本人に死者の自認があるなら殺してあげる治療が認められる?

そもそも、なぜこんなにも境界が必要なんだろう。グラデーションでもない、もっと、三次元を浮遊するように為すがまま存在していちゃダメなの? 相手の属性関係なく、他者を敬う勇気を持てれば。

性別に例えるなら、レイチェルの立ち位置は「MtFトランスジェンダーであり、フェミニスト」に近い。

男として生まれたけれど私は女なのだ、と主張しても
「女として下に見られる待遇を受けてなかったくせに何がわかるの」といわれ、(社会的にマジョリティである男体だからこそ可能な言動ができているくせに)

女性の権利を守る運動をしても
「私たち女性は日々闘ってきているのに、ちょっと活動したくらいで有名ぶるな」と批判される。(男性フェミニストが女性フェミニストからすんなり受け入れられない事例もあるよね、似てる)

いくつもの問題が重なり合っている。それなのに連鎖的に全批判してはならないと思う。

そもそも女性の権利(例をもどすと、黒人の権利)が蔑まれてきた過去〜現在があるのが問題であり、そこが解決されたら人種の不一致で(他者評価においては)悩まなくて済む。自分自身の問題として悩む状況は続くとしてもね。

(ここでは、レイチェルは黒人を詐称したウソつきの白人だ!という見方は捨てました)


#エッセイ #映画 #ドキュメンタリー #トランスレイシャル #トランスジェンダー

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