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JOG(1371) 国民の一体感が立憲政治を支える

 イギリスも日本も、歴史を通じて醸成された国民の一体感が立憲政治の基盤をなしてきた。


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■1.立憲民主党は「反」立憲「反」民主党

 5月3日の憲法記念日を機に実施された読売新聞の世論調査では、憲法を「改正する方がよい」との回答が63%(前回昨年3~4月調査61%)と、3年連続で6割台となりました。憲法を「改正しない方がよい」は35%(前回33%)で、世論は圧倒的に改憲を求めたいます。[読売]

 その一方で、立憲民主党などは衆院憲法審査会での改憲議論すら拒んでいます。大震災などで選挙ができない際に国会議員の任期延長を可能にする憲法改正を議論した際にも、「現行憲法下で最大限の対策を講ずる」などと具体策もなく繰り返す立憲民主党に対して、自民党のみならず、公明党や国民民主党からも批判が起きています。

 改憲を求める国民の多数意見を封殺する姿勢は、国民主権という現行憲法の大原則を踏みにじる反民主的行為です。

 1946年に制定された日本国憲法は世界189カ国中すでに14番目に古い憲法ですが、13位以内で最も改正回数が少ないインドネシアで4回、多い国はノルウェーで400回以上改憲をしています。「無改正」なのは日本だけで、その「化石」ぶりが異様です。[西、p73]

 しかも、1990年以降2020年11月までに新しく制定された105カ国の憲法では、すべての国が国家緊急事態に対処する条項を備えています。これらの調査をされた西修・駒澤大学名誉教授は、インド初代首相ネールの次の言葉を引用されています。

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 もし諸君がこの憲法を抹殺したいというのであれば、憲法を本当に神聖で不可侵のものにすればよい。変更されず、静止状態にある憲法があるとすれば、その憲法は、それがよいものだからではなく、その使用が過去のものになってしまったからである。生きるべき憲法は、成長しなければならない(適合しなければならない)変化し得るものでなければならない」。[西、p74]
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 立憲民主党は改憲を望む多数国民の声を圧殺し、その姿勢はネール流に言えば、現行条文を「神聖で不可侵のもの」として憲法を抹殺しようとしているのです。これでは立憲民主党の正体は、「反」立憲「反」民主党と言うべきでしょう。

■2.立憲政治の最大の課題は政府と議会の対立

 こうした立憲民主党の姿勢は、国際社会の立憲政治の歴史と現状を知らない国際的非常識から来ています。たとえば、一部野党が政府与党のスキャンダルを時には捏造してまで国会審議をたびたび、長期間にわたって空転させていますが、こういう利己的な勢力争いで立憲政治が立ちゆかなくなる、という経験を、国際社会は19世紀から経験しています。

 オーストリア・ハンガリー帝国では、1867年に改正された新帝国議会法によって議会制度が導入されましたが、チェコ系議員とドイツ系議員の反目など、議会はあたかも「民族対立の見世物小屋」と化し、実際の政治は皇帝の発する度重なる緊急勅令によって行われ、やがては立憲政治そのものが停止されてしまいました。

 ドイツでは、1871年に制定されたドイツ帝国憲法で成年男子の普通直接選挙が導入されたましが、階級利害や政治イデオロギーの対立で、議会内での意思決定そのものが困難となり、鉄血宰相として有名なビスマルクすら、帝国の財政基盤確立のための法案がことごとく否決されてしまいます。

 1888年に即位したヴィルヘルム2世はビスマルクを更迭し、皇帝親政を開始。若き君主の暴走で、ドイツは第一次大戦に敗れ、王室は滅亡してしまいます。

 国民の政治参加の方法として、国民が投票で選んだ議員が議会で立法を担当したり、政府予算を承認したり、ということが、立憲政治の根幹ですが、その議会が国家全体を考えずに、政府の足を引っ張ったり、政党同士の勢力争いに明け暮れていては立憲政治は機能しません。

■3.立憲政治を守った国民統合の基軸、皇室

 日本でも、明治22(1889)年の帝国憲法制定後、すぐに同様の問題が起こりました。

 日清戦争の直前で、大国の清は西洋から世界最新最大級の巨艦を購入し、日本をはるかに上回る海軍力でわが国に脅威を与えていました。明治26(1893)年、政府は増税により、海軍拡張の予算を国会で通そうとしますが、議会は反対し、時の首相・伊藤博文は立ち往生してしまいました。議会は内閣不信任案を提出、政府は議会の停会をもって応ずるなど、膠着状態に陥りました。

 ここで、帝国憲法の起草者の一人、井上毅(こわし)の献策により、明治天皇から「和協の詔勅」が渙発されます。そこでは宮廷費の一割にあたる30万円を6年間削って軍艦建造費に充てるとともに、文部官僚も俸給の一割を国家に献納すること、その上で政府と議会の「和協」を命ぜられたものです。

 この詔勅を受けて議員たちはただちに政争をやめ、自分たちも年俸の4分の1を上納することを決議しました。国民からも多額の寄付が寄せられました。議会が政府予算を承認したのは言うまでもありません。

 現在の中学教科書で教えられているように、もし帝国憲法が「天皇主権」であれば、こんな回りくどい方法は不要でした。国会の反対など無視して、天皇が増税を命じ、政府予算を認めれば済んだ話です。「天皇主権」ではないからこそ、明治天皇は自ら帝室予算を切り詰めて、政府、議会、国民が一体となって、危機を乗り越えようと呼びかけられたのです。

 時の首相・伊藤博文は、帝国憲法の中心的起草者です。伊藤はなんとしてもスタートしたばかりの立憲政治を守ったのです。そして、それは国民一致協力の基軸である皇室があって、はじめて可能になったのです。[JOG(1083)]

■4.立憲政治に必要なのは国民の一体感

 議会対応の困難さは、帝国憲法が制定された当初から、欧米の識者によって予想されていました。

 帝国憲法制定の直後、伊藤博文は憲法とその解説書『憲法義解』を英訳し、金子堅太郎に世界中の憲法学の大家に意見を聞いて廻らせました。

 概ね好評でしたが、パリ大学のアンドレ・ルボン教授は、天皇の権威が弱く、精神においてはイギリス憲法のようと評しました。オックスフォードのウィリアム・アンソン教授は、帝国憲法をややイギリス的だと評したうえで、ビスマルクは議会で苦しんだので教訓とするように、との忠告を与えています。

 今日では「帝国憲法はプロシア型の君主主権の憲法だ」との通説がありますが、当時の識者たちの心配はその反対で「あまりに開明的で民主的すぎる」ということでした。当時の欧州各国が、自分たち文明国ですら議会との対応に苦労している、非白人の日本がこんな開明的な憲法ではさぞや困難にぶち当たるだろう、と予測したのです。

 その困難を、日本は上述のように明治天皇の「和協の詔勅」で乗り切ったのです。この例でも見られるように、立憲政治では国民が共同体精神でまとまっているという基盤が、必要不可欠なのです。

 この点を国家を一つの町に置き換えて考えてみましょう。一国の憲法とは、町内会のルールのようなものです。町内会として、会費はいくら、使い方はこう、などとルールを決めますが、もし、町内が古くからの住民と、新たに入ってきたマンション族とで対立していたら、なかなかうまく行きません。

 例えば古くからの住民が、盆踊りは昔からの伝統行事で、町内会から費用を出すのが決まりとなっていると主張します。それに対して、マンション族は「盆踊りには参加しない住人も多いので、町内会の支出は不適当、参加したい人から会費なり寄付を集めるべし」と反対したとします。

 町内で一体感があれば、お互いの主張を聴き合って、それではこうしようと決めるでしょう。昔からのルール通りやるか、ルールを変更(=改憲)して、いずれにしろ、皆でルールに従って行います。これが立憲政治です。

 しかし、もし一体感がなくて、古くからの住民がマンション族の意見など聞かずに昔からのルールを押し通したら、マンション族は町内会費を払わないとか、別の町内会を作ったりするかも知れません。これで立憲政治は頓挫します。すなわち、ルールの良し悪しよりも、同じ町内会なのだから多少の不満は我慢して一緒にやっていこう、という一体感が、立憲政治には不可欠なのです。

■5.イギリスの立憲政治の基盤となった国民の一体感

 この点が分かると、なぜイギリスで立憲政治に成功したのかが理解できます。イギリスの憲法は不文憲法で、過去、法の支配を求めて、国王の権力と戦ってきた過程で蓄積された政治文書の集合体を憲法としています。その最も古い部分が1215年に制定されたマグナ・カルタ(大憲章)です。成立から800年を経過した現在も、イギリスの憲法の最も基本的な部分として有効とされています。

 イギリス国民は、かくも長い期間にわたって、王権を徐々に制限し、国民の自由と法治主義を確立してきました。その過程で国民の一体感も醸成されてきました。

 イギリスは、国民の一体感と法治を両輪として、一人ひとりの国民が自由に志を伸ばし、国全体として発展してきました。これが原動力となって、小さい島国ながら7つの海を支配する大帝国となれたのです。

 イギリスをお手本に、19世紀の欧州各国は豊かな独立心と一体感を持った自由な国民による国民国家を目指し、その基軸として、それぞれの憲法を制定していきました。

 1871年から1年10ヶ月をかけて欧米12カ国を廻った岩倉使節団の記録『米欧回覧実記』では、各国での憲法制定の目的を「憲法を通じて、国民の独立心の涵養と一体化を図り、そうすることで自律した個人を生み出して国力を高めるため」と喝破しています[瀧井、p61]。

 しかし、イギリスの立憲政治の成功は、長い歴史を通じて醸成された国民の一体感があったからこそです。ドイツはプロシアを中心にそれまで独立した諸邦が1871年にようやく帝国としてまとまったばかりでした。オーストリア・ハンガリー帝国は多くの異民族を国内に抱えていました。こうして一体感のないところに、憲法だけ導入しても、立憲政治がうまくいくはずはありません。

■6.「法は民族精神・国民精神の発露」

 国民の一体感が立憲政治に必要不可欠な基盤ということを踏まえると、なぜ憲法がそれぞれの国家に固有の歴史に根ざさなければならないかが分かります。国民の一体感を育てるのは、その国民の歴史であり、歴史を通じて共有された国民の精神が一体感を醸成するのです。

 帝国憲法の起草のために、伊藤博文はヨーロッパに1年2ヶ月ほど滞在し、そこでウィーン大学のシュタイン教授から「法は民族精神・国民精神の発露」であり、国民の歴史の中から発達していくものとする、当時ヨーロッパを席巻していた歴史法学の講義を受けました。伊藤はこれで憲法起草に大きな自信を得ました。[JOG(242)]

 そして古事記・日本書紀など日本の歴史研究に深く根ざして制定された帝国憲法は、この面でも欧米の識者から高い評価を受けました。アメリカの連邦最高裁判官オリヴァー・ウェンデル・ホームズは、いくつかの具体的な点を評価しながら、最も感心した点として、こう語っています。
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 この憲法につき、予が最も喜ぶ所のものは、日本古来の根本、古来の歴史・制度・習慣に基づき、しかしてこれを修飾するに欧米の憲法学の論理を適応せられたるにあり。[八木、p246]
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■7.日本の歴史に根ざして、国民の一体感を育てる前文を

 帝国憲法が「日本古来の根本、古来の歴史・制度・習慣に基づ」いたものであることは、その前文にあたる御告文に示されています。[倉山]で示されている、その要約の一部を引用します。
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・世の中の文化が発達しましたので、ご先祖様の教えを明らかにするために皇室典範と帝国憲法の形で示し、子孫たちが守るべきところとし、臣民たちが従うべき道を広め、国家の形をますます強くし、国民の福祉を向上させることになるでしょう。

・これすべてご先祖様以来の統治の規範を記したものに他なりません。
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「ご先祖様以来の統治の規範」とは、たとえば民を「大御宝」として、その安寧を実現することが建国の目的であり、また天皇の役割は権力を振るって民を領有するのではなく、民の実情を「知らして」安寧を祈ること、などです。

 人権は「大御宝」、議会政治は五カ条の御誓文の「広く会議を興(おこ)し、万機公論に決すべし」、さらには聖徳太子の17条憲法や律令以来の法治主義伝統など、我が国には「ご先祖様以来の統治の規範」が豊かにあり、それらがまた近代憲法の人権、議会、法治などの理念とまことに相性の良いものでした。

 こうして制定された帝国憲法は、日清日露、大東亜戦争と国難の時代にもかかわらず、一度も停止されませんでした。終戦の決断すら、天皇の御聖断を拝聴した上で、内閣として正式に決定したものです。ドイツのヒトラー自殺による政府崩壊、イタリアの内戦と比べれば、立憲政治の継続という意味では大違いです。また、日本国憲法発布も、帝国憲法の改憲手続きに従ったものです。

 我が国が、1889年の帝国憲法発布以来、今日にいたるまで135年にわたって、立憲政治を続けてきたことは、大きな誇りとすべきです。この上は、同じ期間、日本国憲法発布という占領軍による強制的改正以外、一度も自主的改正をしたことがない、という不名誉な記録を返上することを目指しましょう。

 さらに、現在の憲法の前文がアメリカ憲法などのコピペに過ぎず、全く日本の国柄に根ざしていない、という大問題にもいずれ着手すべきです。前文改定作業を通じて、我々はいかなる国であったか、今後どのような国を目指すのか、という国民的議論を期待します。
(文責 伊勢雅臣)

■リンク■

・JOG(1083) 天皇主権と国民主権
「主権」という言葉が日本人にはピンと来ないのは何故か。
https://note.com/jog_jp/n/n5c41ebc82240?magazine_key=mc63060cde456

・JOG(242)大日本帝国憲法~アジア最初の立憲政治への挑戦
 明治憲法が発布されるや、欧米の識者はこの「和魂洋才」の憲法に高い評価を与えた。
https://note.com/jog_jp/n/nca37e764796b?magazine_key=mc63060cde456

・テーマ・マガジン「日本国憲法~外国人が9日間で創案し、80年近く改訂されず」
 憲法関連記事14編が一カ所で読めます。
https://note.com/jog_jp/m/mc63060cde456

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・瀧井一博『文明史のなかの明治憲法』★★★、講談社、H15
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・西修『ざんねんな日本国憲法 研究60年 集大成の解決策』★★★、ビジネス社
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・八木秀次『明治憲法の思想: 日本の国柄とは何か』★★、PHP新書、H14
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・読売新聞、R060503「憲法改正『賛成』63%、9条2項『改正』は最多の53%…読売世論調査」
https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20240502-OYT1T50215/

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