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倉木麻衣をかけて自室でアーティストしてた10代

人生をふりかえったときに、
自分がめっちゃアーティストだった
そう思える時期があります。 

それが中学・高校のときです。


私は文化部所属の人間でした。
放課後の半分くらいは
自分の部屋にいた気がします。


真面目な子だったので
宿題や復習をしっかりしてました。

そして当時はCDが主役の時代。
私は大好きな倉木麻衣ちゃんを
延々と聴きながら勉強したり、
絵を描いたり、詩を書いたり。


倉木麻衣ちゃんは当時はまだ
テレビにほとんど出ておらず
神秘の歌姫な感じでした。

楽曲はいわゆるR&Bで薄暗い感じ。
ポップではない感じが
当時の私に妙にあっていて。
勉強がはかどりました。


あと倉木麻衣ちゃんは
英語の歌詞を書いていて
私はその意味を調べたりして
英語を勉強していました。


中3くらいからは
アヴリル・ラヴィーンも聴き始め
これも歌詞から英語を勉強。


そのうち、これが影響して
高校一年でアメリカの高校に
留学することになるのですが。


それでですね、
この「歌詞」というところから
私は今思えばクリエイトに
触れていたのだと思います。


多分私も作詞をする気持ちで
ノートにいろいろ書いていたかも。

あと下手くそだけど
NANAの絵や、
麻衣ちゃんやアヴリルの
ジャケッを真似して描いて
色鉛筆で色をつけたり。


1人で黙々と
自分の頭の中に向き合う。

インプットとアウトプットを
繰り返していた気がします。


中学生頃って可能性を
無限大に持っているので、
いっぱい夢を見ていた気がします。


途中でここに、
小説を書く作業
が入ります。


中2のときに少しいじめられていて
仲のいい子たちとギクシャクした
時期があり、毎日楽しくなくて。


辛い状況の主人公と一緒に
立ち上がっていこうと
初めて小説を書き始めました。

ケータ小説が流行ってたので
抵抗なく始められました。

一年くらいかけて書き上げて、
その後、高校の時も
その続編を半年くらい書きました。


そして留学していったのかな?
帰国後もCD聴きながら
おうちで勉強したり、
何か書いてるという生活は
変わりませんでした。


でも私、真面目だったので
受験勉強も頑張りました。

そこからは現実路線。
高3のときから去年まで
創作することは忘れてました。


創作って自分の感情を通って
何かが生まれるものだと思うけど、
心のセンサーが上手く働いてないと
なんも創れないと思います。


現実を見続けていると
正しいことはなんなのか、
何があるべき姿か、
損をしないためにはどうするかなど
自分の感情に関係ない答えを
自分に取り込むからですかね。



私はとりあえず、また倉木麻衣ちゃんを今聴き始めました。

ファーストアルバムの「delicious way」は初期のヒットソングも詰まってておすすめです。

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