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殺人を犯した者の弁護士になる資格とは

最近ある医学生から、「人身事故を起こすと医者になれなくなっちゃうので、自動車運転をしないんです」というような話を聞いた。

その時は、なるほど、生命を救うべき立場になる人が他人に害を与えてはいけないな、と納得したのだが、その後これが弁護士だったらどうだろうか、と改めて考えてみた。

人間誰しも悪意がなくても過ちを犯してしまう。良いことと思ってやったことが裏目に出たり、うっかりミスが数億円の損害につながったりする。自動車運転においては、赤信号を無視してきた車に突っ込んで相手の運転手を死なせてしまったりする。

そういった過失責任がなさそうな場合でさえも日本では医者になれなくなってしまうのか定かではないが、米国について言えば、殺人を犯した者でも弁護士への道が閉ざされてしまうわけではない。

それは、僕がロースクールに通っていた時に聞いたある卒業生の話を通じて学んだ。

米国で弁護士になるためには、司法試験に合格する他、倫理的な適切性の審査を通る必要がある。この「moral fitness」と呼ばれる審査では、スピード違反など極めて軽い「犯罪」まで考慮されるが、通常の志願者にとっては形式的な手続きに過ぎない。

当然のことながら、人を殺しているとなるとそうはいかない。

話に聞いた卒業生は、日本で言えば過失致死にあたる罪で有罪判決を受けたらしい。つまり、殺人は故意ではなく感情的に行ってしまったものと思われる。とはいえ、自ら責任を負わなければならない状況の下他人の命を奪ってしまったことに違いはない。

この人は8年前後の実刑判決を受けたらしい。そして服役中、あるきっかけからNGO活動に打ち込むようになり、出所後はそのNGOに勤めることになった。それから10年ほど経ち、NGOで法律に関連する仕事に携わるうちに、法律の専門家になればより多くの人々や社会のために尽くせるようになれるとの考えに至り、弁護士になることを希望するようになった。

僕が通ってたロースクールは、この人の、殺人を犯した過去があるにもかかわらず弁護士を目指す志望動機を綴った願書を踏まえて、彼を受け入れることを決めた。もちろん、彼が無事卒業し司法試験に合格しても倫理的な審査を通るのが厳しいと分かってのことである。彼の更生と社会貢献の志を評価し、彼が弁護士になれるまでとことん付き合う覚悟で合格にしたそうだ。

僕がロースクールにいた1年目はこの人が卒業してから8年目。すでに7回審査に落ちていた計算になる。この人の話をしてくれた学部長によると、その年の審査でとうとう弁護士になれる見込みであるとのことであった。

これがあるべき成り行きであったと思う。人を殺めてしまった以上、簡単には弁護士になれないのは当然のこと。しかし、いばらの道であることを覚悟の上でめげずに社会貢献に人生をささげる人を弁護士にせず、法曹界はどうやって「正義の味方」などと言えるのだろうか。

ひとつだけはっきりしていることがある。それは、この人は少なくとも、貧乏公家の6代目子孫であることが自慢で、弁護士会から3回も懲戒処分を受けている出来損ない弁護士よりは弁護士である資格があるということだ。

[注:この記事は2018年5月に自分のブログに載せた投稿に微修正加えた上で再掲したものです]


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