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再熱している人工妊娠中絶の争点〜今年の大統領選では従来に増して重要?〜

人工妊娠中絶への是非はアメリカを二分する政治の争点である。ここではなぜ中絶が今年の大統領選の行方を左右する可能性があるのかを解説する。


そもそも、人工妊娠中絶の争点とはどういうものなの?

アメリカでは、福音派のキリスト教信者を中心に、生命を重視する視点から中絶を「出生前の子供の殺人」と見做す人が多くいる。反対に、人権を強調する人を中心に、出産するかしないかの判断は女性個人の身体に関わる話なので、中絶については本人しか決める権利がないと主張する人たちも多くいる。

前者は中絶反対派で「Pro-Life(生命尊重派)」と呼ばれ、後者は中絶容認派で「Pro-Choice(選択尊重派)」と呼ばれる。

生命と人権といった現代社会における極めて重要な課題のぶつかり合いなので、両派とも熱狂者が多い。

で、中絶と政治の関係は?

簡潔にいうと、中絶反対派が共和党の支持基盤、中絶容認派が民主党の支持基盤になっているため、中絶に対する姿勢を明示的に表明せずにはアメリカでは政治家をやっていられない。

原則として、中絶を容認する政治家は共和党にいられないし、中絶に反対する政治家は民主党にいられない。地域的な例外はあり、たとえばリベラルな東北では共和党の政治家も中絶に対して(容認とまでは言わずとも)寛大な姿勢を取るが、大統領のような全国的なポジションともなると、共和党の場合は中絶反対、民主党の場合は中絶容認でないと、指名候補になれない。

どうして中絶がアメリカの政治を二分するようになったの?

ことは1970年の「Roe対Wade」と呼ばれるアメリカ連邦最高裁の判決に遡る。

この判決で最高裁は、女性が中絶する権利はアメリカ連邦憲法で保護されている人権であるという判決を下した。アメリカ連邦憲法はそもそも人権を多く規定しておらず、「中絶する権利」は明示的に規定されていないが、1950年代から始まった人権拡大の延長として、最高裁は中絶する権利が解釈論として連邦憲法にあると判断した

連邦制のアメリカでは一般的な立法権限は州政府にあるが、この判決により、多くの州が策定していた中絶を禁止する法律が、原則としてすべて違憲となり無効化された。

このことに反発した保守派が政治運動を起こし、徐々に強力な政治勢力となりRoe判決を覆すことを共和党の公約に盛り込むことに成功した。アメリカは二大政党制なので、自然とRoe判決の支持者は民主党の支持母体となった。

なんで今年の大統領選では従来に増して中絶が重要な争点になりそうなの?

2022年に連邦最高裁が「Dobb対Jackson」と呼ばれる判決で「Roe対Wade」判決を覆したからだ。

この背景には、連邦最高裁の裁判官の構成がある。

もともと、「中絶する権利」は連邦最高裁が解釈論として憲法に読み込んだ人権だったので、最高裁の裁判官の構成が変われば、その権利がアメリカ連邦憲法上存在する人権ではないと判断される可能性が常にあった。

アメリカ最高裁の裁判官は(連邦上院の承認のもと)大統領が任命するので、共和党にとっての半世紀の悲願は、9人いる裁判官のうち少なくとも5人をRoe反対派にすることであった。

1970年以降、アメリカは徐々に保守化していったものの、2000年代に入ってもRoeを覆すべきと考える裁判官は4人しかいなかった。ところが、トランプ政権の1期目に裁判官の死去が重なり、トランプは3名もの裁判官を任命することができた。(アメリカ連邦最高裁の裁判官は終身制なので、通常の大統領は、2期8年務めても2人の最高裁裁判官しか任命できない)

結果、Roe判決が50年経ってとうとう覆され、中絶問題が以前に増して注目されるようになった。

Dobbs判決以降、中絶に関連する議論はどのように進んでいるの?

「Dobbs」判決は中絶を禁止した判決ではない事に注意が必要だ。この判決はあくまで、中絶する権利はアメリカ連邦憲法上保護されている人権ではなく、中絶を許容するのも否定するのも立法府の判断、つまりは民主主義のプロセスに委ねられるべきであるとしたものである

したがって、Dobbs判決以降、中絶の議論の場は主に各州に移っている。西部東北など民主党が強い地域では中絶する権利が強化され、南部など共和党が強い州では中絶をほぼ全面的に禁止する動きが活発化している。

また、理論上は連邦政府も中絶について策定することもあり得るため、立法するために承認が必要である連邦下院と連邦上院の議員、および大統領が中絶に対してどのような姿勢を示しているかが注目されている。

さらには、Roe判決をDobbs判決により覆すことができるのであればDobbs判決もまた覆すことができるとして、特に民主党の支持者の間で、最高裁裁判官の任命が大統領選の争点となっている。ただ、終身制の最高裁裁判官の構成を変えるのには相当な時間がかかるため、喫緊の論点とまではなっていない。

中絶の争点は、直近の選挙でどのような影響が出ているの?

保守的な州でも、過激的な中絶禁止の姿勢が否定される傾向にある。中絶は50年間権利として認められていたため、それが否定される事に忌避感を感じる投票者が共和党寄りの州でも少なくない。

たとえば、2023年の選挙では、保守的なオハイオ州で州憲法に中絶を人権として規定する憲法改正案が住民投票により可決された。また、2022年の中間選挙では、バイデン大統領の支持率が低かったにも関わらず民主党が健闘したが、その背景には、共和党の中絶に対する過激な姿勢を拒否した投票者の多くが投票に行ったから、と言われている。

今年の大統領選ではどのような影響が出そうなの?

共和党内では、50年間もの間選挙で求心力となっていた中絶という課題が分裂の根源になりつつある。

Dobbs判決以降、中絶に関する判断は立法府に委ねられるようになったため、これまでRoe判決反対という単純でわかりやすい姿勢を取っていた共和党にとって、「妊娠の何週間後から中絶は禁止されるのか」とか「母体を危険にさらしていたり、レイプによる妊娠の場合も中絶は禁止されるのか」といったニュアンスが重要になってきている。

共和党の過激派は「待ってました」とばかりに中絶をほぼ全面的に禁止する法律を推しているが、これが極めて不人気であることがDobbs判決以降の選挙の結果が明らかにしているため、今後党が中絶に対してどのような姿勢を取るのかが問われている。

トランプ大統領は中絶に関する連邦法の策定に否定的で州に委ねるべきという姿勢を取っており、妊娠後の15週間の間は中絶を認めるべきと考えている穏健派であるが、その姿勢が不十分とする過激派が党内を割る可能性がある。

民主党は「中絶は人権として認めるべき」といった分かりやすいメッセージで統一しているので、民主党支持者の間で投票率が上がる可能性がある。

[注:この記事は2024年5月に自分のアメリカの政治に関するサイトに載せた投稿に微修正加えた上で再掲したものです]


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