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セカイイチ「ベー感」からのアレコレ雑記

札幌に向かう飛行機より随分早い時間に羽田に着いてしまった。
高速バスがその時間しかなかったのでそうなることはわかっていた。
あわよくば道が大渋滞して通常より30分くらい遅れてくれればちょうどいいかな、と期待はしていたが、そんな時に限って首都高はガラガラで、むしろ予定より少し早く着いた。
でもその程度のことももちろん想定に入れていたので、今こうしてのんびりカフェで熱いコーヒーをすすりながら、久しぶりにゆっくりと文章を認めてみようという気持ちになってきたりしているから、それはそれで有意義であろうと思う。

さて、何について書いてみようか?
と最近の脳内で刺激の強かった順に物事を整理してみると、やはりセカイイチとの「ベーシスト感謝祭」に出演したことが、予想アドレナリン分泌量的にみて、おそらく最高値を記録した出来事ではなかったかと思う。
ライブ開催が7/4で、まだ一週間のアーカイブ視聴期間内であることもここで一度振り返るのにはちょうどいいタイミングかと思われる。できれば一人でも多くの人にご視聴いただくに越したことはない。

そもそもこの「ベーシスト感謝祭」は、セカイイチ専任のベーシスト=泉健太郎さんがバンドを脱退して以降、セカイイチをサポートしてきたベーシスト各位への感謝を込めて、かどうか詳しいところは私の知り得るところではないけれども、サポートしてきたベーシスト諸氏を一旦集めてライブしたら楽しそうじゃね?くらいの軽いノリから始まったものであることは容易に推測でき、今年で6回目だと言うことから、おそらく第一回目は2016年頃であろうと指折り算数の計算をしてみてから今調べてみたところ、vol.2が2017年だった、というところまでは調べがついた。
記念すべき第一回目の記録に乏しいところも、なんだか山奥の秘境祭りみたいで興味一段と深まるところである。
そう考えてみると、ただでさえバンド内で脚光浴びることの少ない存在とも言えるベーシストを一堂に会して褒め称え、お祭り申し上げようとはなんとも祭りの主旨としては奇怪であり、そんな奇祭を堂々と毎年のように開催しているのはこの広いバンド業界を見渡しても、セカイイチとホフディランくらいしか見当たらないところも、彼らが慈愛に満ちた心の余裕と物事を楽しむ造詣の深さを持ち合わせた稀有な音楽家の集まりであることを十分に証明していると言ってまず差し支えないであろう。

ちなみに私、2018年にホフディランのベーシスト祭り(こちらの名称は「春のベース祭り」)に初出演させていただいているので、このベーシストにとっての二大祭に、これで晴れて出演したことになり、これは大変光栄の極み。
ただ一度もセカイイチをサポートしたことない身の上でありながら、この度感謝祭に顔を出している点、若干フライング気味であることは否定しないところであるが、そこを自ら掘り下げてその出演資格を剥奪されるようなことがあっては元も子もないので、ここは誘いを甘んじて受け入れた次第である。この度はお声がけをいただき、誠にありがとうございます。

一度もサポートしたことがない、とは申し上げたけれでも、セカイイチとの付き合いはまあまあ長いものがあり、ライブ中のMCでも少し触れた通り、その出会いははるか遠く、2002年2月に遡る。

SCOOBIE DOメジャーデビュー前の全都道府県ツアー「Soul To Soul」、その序盤も序盤の名古屋CLUB Quattro公演のゲストバンドが、初恋の嵐、オーサカ=モノレール、そしてまだ結成したてだったというセカイイチ。

リハ中にセカイイチのメンバー(どうやら岩崎くん自身)が会場の音響さんにダメ出しされてた、なんて笑い話をMCではしてみたものの、当時の私もまだまだナガイケジョー歴、つまりバンド加入歴1年ほどの超がつく未熟者で、ライブ経験もごくごくわずか、これでメジャーデビュー目前とは笑止千万だぜ、とまでは言わないまでも、正直ライブ前に他の人たちのリハやライブを見るほどの余裕もなく、おそらくライブ直前まで当日のセットリストを凝視しながら、とにかく間違えてはいかん、弾くこと全部決めとかないとあかんでシカシ、くらいのキマリにキマった目でステージに向かっていたのではないかと思われる時期。
なので、もちろんその時のライブがどうだったか、という記憶などあろうはずがなく、今手元に残っているものと言えば、終演後、スクービーと初恋の嵐が当時のマネージャーであるW氏&サニーデイサービス田中氏らと無事打ち上げを終えた席で、せっかくだからその”写るんです”で記念に写真撮っとこうぜ的な、平凡極まる一枚の写真のみである。そしてそこに並ぶ皆の緩みきった表情は、今あえてここに掲載するほどのものでもないこと、予めご了承いただければ幸いである。

(と、この辺りで、フライト前の集合時間となり、ここから先はフライト内〜札幌に着いてからの記述となる)

というような状況であったから、その時のセカイイチの印象は正直あまりなく、そこからいくらか時を経て、あれは記念すべき第一回目のOTODAMA〜音泉魂〜だったと思うが、ここで調べてみたところ、時は2005年。
当時はメインステージが二つ左右に振り分けられ、交互に演奏するという風神雷神的なスタイルをとっていた泉大津フェニックスにて、記念すべきファーストアクトがBAZRA、次いでスクービーだった。
OTODAMAと言えば、毎年その暑さ、照りつける太陽から逃れられない炎天下での開催が通例であるが(台風でトンダ年もあったけども)確かこの時も、晴れていたように思うが、さてどうであったか。
記憶にあるのは、自分たちのライブを終え、汗だくで機材を片付けたりしていたところに響き渡ってきた、次の出演者の、いい声。

うわ、すごいいい声の人だなぁ、、、


と思わずステージ袖まで観に行ったのが、セカイイチだった。
この時やっと、セカイイチってこんなバンドだったのか!
と認識したように思う。めっちゃええやん!(関西弁)
ただまだまだフェスのバックヤードでの居場所に困るような性分だったもので、この時に話したのは恐らく気心知れたBAZRAのメンバーたちくらいのもので、会場にいつまでいたのかも記憶にはない。ただ、大阪前乗りした日に甲子園球場に阪神戦を観に行った記憶はある。その勝敗の行方の記憶はない。

とまぁそんな感じで、結局セカイイチとは交流を深めていたのかどうか、あまり定かでない状況が続くなか、2006年にはこちらもメジャーを離れCHAMP RECORDS創設、そこから通年全国津々浦々をライブ行脚する日々、これぞまさにバンドマン人生、狭い枠の椅子取りゲームで、もちろんお互いの名前は少なからず意識したりしなかったりしていたはず、あるいはいつからか始まった”ベース飲み会”で、ベーシスト界の三大「ケンタロウ」=泉健太郎氏・佐々木健太郎氏・三浦謙太郎氏らと交流を深めながら、ベーシストにありがちな、他のメンバーとはそこまでじゃないけどベーシスト同士は異様に仲が良い、という頼もしき関係性を築き上げることに成功し、その流れもあってか、彼らのツアー(ザ・ビートモーターズのツアーだったのかな?)金沢&新潟公演に同行したのが、震災直後の2011年4月のこと。

金沢公演後の打ち上げの席で、泉センパイ(私は最大限の敬意を込めて氏のことをこう呼んでいます)から機材周りの助言を多く賜り、翌日の新潟では氏特注のシールドやスピーカーケーブル等を拝借、うわぁ...こんなに配線周りでも音って変わるのか!ということを実感、センパイありがとうございます!からの、ツアーから帰京後に直ちに氏行きつけの楽器工房の門戸を叩き、シールドを注文したりと、自身の音質の改善に努めたもの。

その節では大変お世話になっているがゆえ、こちらライブ中でのMCでも申し上げた通り、2013年1月のラジオ収録後に氏からバンド脱退の旨を聞かされた時には少なからず心の動揺を禁じ得なかったわけだが、そこはグッと飲み込みながら、しかし自身のやり切れぬ思いを吐露したコラムが、当時の「ベース・マガジン」2013年4月号に掲載された、”ファミリーマン” アストン・バレットを紹介した文章。
今読み返してもなかなかにうまく書けています、でんでんでんぐり返って、名文じゃまいか、拙著『ベーシストの名盤巡り 低音DO』にも収録。

そうそう、そんな泉センパイ脱退後、焼肉の街=長野県飯田市で始まった「燒來肉ロックフェス」でセカイイチと一緒になった時(2016年)にベースを弾いていたのが、ハルさん=岡部晴彦さんで、そのモータウンの如き、スモーキーなビンテージベースサウンドで会場を沸かせるニュー・セカイイチ・サウンドに、オラ思わずぶったまげて、えっと、セカイイチってこんなファンキーなバンドでしたっけ? おでれーたぞ!な気分でハルさん&佐々木の健太郎さんらと共に肉を焼いた思い出が今や昔と鮮明に蘇る。嗚呼また共に肉を焼きたい。

そんな酸いも甘いも乗り越えた上での、この度のベーシスト感謝祭、初出演。

そりゃ、胸も熱くなります、指先に力も入ります。

自分のベースがセカイイチの音楽に提供できるものは何なのか?
なんて難しい顔せず、とにかく一生懸命に弾きましたけども、個人的には「ダイナシ」良かったですね。ロックバンドがやる、静かな曲(暗い曲?)が、好き。そういうnot FUNKYな曲に、どこまで自分が寄り添えるのか?とか何とかゆーてますけども、サポートベーシストと言いつつ、どちらがサポートされているのか、お互いに相手の音を聴きながら反応し合い、ライブならではの瞬発力も刺激し合いながら、楽しくできたから結果OK。


偶然の出会いから20年近い時を経て、一緒に音を鳴らすことになるとは、こんなことちょっとした奇跡。んで、そんな奇跡ついでに、またここから先も何かご一緒できることがあれば(きっとあるんでしょうけども)こんなに嬉しいことはない。
そして、ここまで全文をお読みいただいた上で、もしまだ「ベー感」ライブのアーカイブを見ていないとあらば、それこそが最大の奇跡。(つーか見ろよ!)

ここまでお付き合いいただけたのなら、あえて見ないという選択肢も尊重します。

何はともあれ、涙が乾くような優しい歌を聴かせてよ。

バンドマンに幸あれ。


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