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この夏の、備忘録。

8月19日

晴れ。

雨で涼しい日が続いていたが、
久々に朝から晴天、夏の日差し。

意気消沈しかけていた蝉の声も
息を吹き返したように、賑わい。

「夏のオーケストラ」

と蝉時雨を例えているのは、
『寺田寅彦随筆集 第二巻』収録の
「備忘録」内「夏」

そのなかに、

「蚊のいない夏は山葵のつかない鯛の刺身のようなものかもしれない」

というクダリもあって、そういえば
なんとなく今年の夏は蚊が少ない気がするのは
はて、自分の周りだけなのか。

蚊のレーダーに我が身が美味の対象として
認知されなくなってしまっているのか。

あの不快な羽音と痒みの味わいの足りない日々は
確かにどことなくツンと刺激の足りない刺身のようでもある。

その「備忘録」の中には「仰臥漫録」という項もあって
タイトル通り正岡子規の『仰臥漫録』について触れているもの。

俳句と水墨画を交えての病床日記である『仰臥漫録』には
子規の食したものも克明に記録されていて、
明治後半、1900年頃の献立のバリエーションも
いろいろあったんだなぁ、と感心するなかでも
「さしみ」の文字が多く、
ざっと見、刺身の登場頻度が高い。
主にカツオ(松魚・堅魚)、まぐろ、鯛。
療養中ということで滋養の意味合いもあったのか。
そして、時にはしっかり「山葵」も添えられている。
あの鼻にツンとくる刺激を、
病床で子規さんも味わったのかどうか。

「子規の「仰臥漫録」には免れ難い死に直面したあの子規子の此方の世界に対する執着が生々しいリアルな姿で表現されている。そしてその表現の効果の最も強烈なものは毎日の三度の食事と間食とのこくめいな記録である。」(寺田寅彦「仰臥漫録」より)


武田百合子著の『富士日記』なんかも
まずは「その日食べたものだけでも記録しておく」
というスタイルにのっとったもので、
何をどれくらい食べたか、で、そんな日に
他にもこんなことがありました、という出来事を
客観的に事務的散文的に書き連ねていく
それをあとから読む人がその人なりの視点で触れて
なんか感じるところがある、というのが日記文学の面白さ
なのだろうと思う。

そこに反応するんだ、ってとこが
人によって違う、読む人の生活もまた反映される。

あとはただ単純に
パラパラと日記モノを眺めていた時に、
その人がその文章を書いた日にちが今日と近かった
というだけで、ちょっと興奮するところがあったりする。

ちなみに『仰臥漫録』の書き出しは
「明治卅四年九月二日」
まあまあ近い。1901年だから、120年前。

「雨 蒸暑」
なんとなく、イメージが湧いてくる。

日記モノ、いろいろあります。
パラパラ読んでおもしろいの、
あります。ありま、

ということで
先日、西千葉のcafeSTANDでライブをご一緒した
おとぎ話の有馬くんと。

「HOMEWORK」という曲を演奏した
リハのスタジオで、

ナガイケ
ーこの、「立ち止まったら世界を 理解してしまうよ」って歌詞、すごいいいよねぇ、なんか、わかる。

有馬
ーでしょ? 大体の人は「毎日働いて」って歌詞聴いて「有馬オマエ、毎日働いてないだろ」みたいなこと言うから。

と言うような(概ねそんな感じの)やりとりがあって
新鮮、そっかまず反応すべきは、「毎日働いて」か。

響く言葉、響くメロディー、人それぞれ。
自分にとって輝くポイントを、人と合わせることはなし。

それはそうと、この間演奏したバージョンの
「HOMEWORK」
すごい良かったから、また演りたい。備忘録。

昨日の夜、YouTubeでたまたま見つけた
ジャズベーシスト=GARY PEACOCKの
教則動画を眺めていて、そのデモ演奏が
ジャズなんだけど、どことなくそれだけでない違和感あって
調べたら氏はどうやら東洋思想にも造詣が深いようで
そういえば、心技体云々みたいなことを
英語で何やら話していたような気がする。

今は、氏のソロベース音源
『December Poems』(1979)を聴きながら。
音の余白が心地よい。
今日も夜風は涼しい。

こんな夜には、
寺田寅彦「備忘録」内「涼味」もあわせてどうぞ。


どうにも散らかった文章になってしまった、
全てはこの夏の、備忘録ということで。

(冒頭のイラストは本文と関係なし)


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