瞑想(メディテーション)とかって

 巷では瞑想とかメディテーションとか(一緒かw)、精神統一とか心を整えるとか、色々ありますが「祈り」も似たようなものなので、あまり「宗教的」と言わないでやってみたら良いと思いますよ。

 結局、自分の心に問いかけているわけですが、それが自分の中のもう1人の自分なのか、もう1人の自分の心にある「人間本来のもの」を創った何か(まぁ神という話ですが)に問いかけるのか、の違いでしかないです。

「良心」とか「葛藤」とか考えてみると

 「そりゃだいぶ違うだろ」と言われるかもしれませんが、ほぼ紙一重です。「良心」ってなんで心の奥にあるのかとか、「葛藤」ってなんで生じるのかとか、そういうことを考えるともう1人の自分って違う自分なわけで。

その自分って違う世界に生きているわけで(同じ世界なら同じ思考に収斂されるので)、その世界ってなに?という話で、つまり肉体の世界でなく心かその奥、聖書では霊とか霊界とかいう世界なわけで、神は霊なので(ヨハネによる福音書4:24)そういうところで良心や心、奥にあるものは神に通じてるので、それに気づくか気づかないかは「紙一重」だということです。

客観的に自分を見る行為は祈りも瞑想も一緒

 この世界に触れている自分とは違う自分と接して、安定や改心を試る行為が瞑想(メディテーション)だったりする(まぁ人によって違いそうだが)ので、結局第三者的に、客観的に自分を見つめるという行為の対象は誰か?という話でしかないわけです。

 それが神だったら、神と通じる自分だったらすごい(当然そんなことないと思いつつ)と思うのですが、実はそんな遠い存在ではないことを、人は気づけないので、神が遠い存在だと自分で勝手に思い込んでしまっているということ。

神が応えてくれるとか面白い

祈りは本当に良いですよ。神に質問して回答が返ってくるわけですから笑

祈りの中で返ってくるのか、日常生活の中で何か(人とか出来事とか万物とか)を通じて返ってくるのかは様々ですが、何れにしても返ってくることを実感すると感謝の念に溢れます。

 祈りのやり方とか細かいことはあるっちゃありますが、まずはそういう概念で神が存在していて、だいぶ自分と近いところにいて、瞑想とか祈りとかあまり変わらないんだな、ということを理解するととても生活やビジネスの戦略構築、マネジメントなんかも楽になります。

ま、経営者なんて宗教に接している人とか結構多いですからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?