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大工町公園改修の舞台裏 総括編

9回にまでなった長編シリーズでしたが、いかがでしたでしょうか?

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10回目の今回は、総括編として、全編通しての反省や失敗の考察、評価などをしていきたいと思います。そうすることで、多くの人にとっての学びも深まるはずです。これでシリーズ最終回です。

私の誤算と失敗

■私の誤算と失敗 その1
まずはichiについて。ichiは妻の想いをベースにした事業です。私は当初、物件のプロデュースや公園への展開を担当していたつもりでした。しかし、まさかガンが見つかり闘病生活になって私が丸ごと経営することになるとは想像もできませんでした。大きな誤算です。
バタバタと立ち上げたこともあり、想定が甘かったことなども沢山ありました。色々と改善もし続けましたが、なかなか黒字にはできませんでした。

まちづくり界隈の神さま的存在の清水義次さんの言葉は、身に沁みます。
「まちづくりをやりたい人がやっているカフェと、飲食を本気でやっている人がやっているカフェ、どっちに行きたい?」

そう、半端な私が経営してなんとかなるものではなかったのです。でも私には、妻の病気が分かった時点でスパッとやめる決断ができなかった。まだオープンして3ヶ月のタイミングでしたので、妻の復帰の可能性もあり、自分がやるしかないと思ってしまいました。1年のタイミングも辞める機会でしたが、結局、妻のガンの再発が見つかる1年半の時点まで、直営をやめる決断ができませんでした。始めることは勢いで出来ますが、続けること、そして、やめる決断は、本当に難しいのです。

リノベーションまちづくりが発展していくプロセスには、「寂れたまちの1店舗目で、圧倒的な成功を見せること」というものがあります。1店舗目の成功があるから、次のお店が出てくれるのです。それをつくれなかったことは、大きな失敗です。

■私の誤算と失敗 その2
大工町公園と周りのエリア価値を上げる活動をしているのに、その開発利益を受け取れるポジションをつくり続けられなかったことです。公園に仕掛ける前に、小さくてもichiの他に不動産を仕込めなかったことが失敗でした。

ichiを始めたくらいで腹をくくって、他にも不動産を入手できたかどうかが分かれ道でした。寂れたまちの時点で、その発展の可能性を見極め投資ができるかどうか。利害関係者であり続けていたら、私は、今でも公園にコミットしていたでしょう。まあ、妻の病気も子育ても店もありながら、公園のワークショップですから、次の仕込みは難しかったかなーとも思いますが。。

そもそもichiは、3年の期間限定でしたので、それが終わったときに、私のインセンティブは「まちの未来のため」以外は消えてしまい、そこからは単なるボランティアになってしまったのです。行政から依託費を貰わなくたって、自分の不動産の価値向上ために動く、これが一番シンプルなまちづくりの構図なのです。まちづくりを志す人は、仕掛ける前に、安いうちに不動産を入手せよ(賃貸なら安いままで長期契約しろ)と声を大にして言いたいです笑。

■私の誤算と失敗 その3
なんでも自分でやりすぎたことです。これによって、他の人が動かなくてもいいやとなっていたと思います。ちゃんと、キツイときには周りに仕事を振ったりを自分からもっとすべきでした。そして、敢えて自分で動かず地域の自立を後押しすることを最初から仕込んでおけなかった。これは大きな失敗です。

そして、言い出しっぺだからと、自分にもう何の利益もないのに、組織のトップにまでなろうとしていました。その構造の歪みに気づくのが遅かった。
本当は、どこかもっと早いタイミングで、自分がプロデューサーとしての立ち位置に変化しているのを自覚して、いつかいなくなることを表明しながら、地域の人の自主性を育てながら進めないといけませんでした。
公民連携は、ボランティアではありません。プロジェクトの大小に関わらず民間が動くインセンティブをきちんと設計して組み込むからこそ長く回る仕組みなのです。

公園改修は実は早すぎた

実は、リノベーションまちづくり界隈では、小さなリノベーションから、大きなリノベーションに繋げるという話があります。小さなそれは、民間がやる個別の物件のリノベーションです。1店舗目が成功し、2、3店舗目も出てきてエリアの魅力が上がってきたとき、まちにはやる気のあるプレーヤーが何人もいることでしょう。そうなると目に見えたまちの変化があるので、前向きな機運とともに地域の人の協力も得やすいでしょう。それから公園や道路など公共空間の活用を仕掛けるのです。

大きなリノベーションとは公共空間のリノベーションです。行政もまちの前向きな変化があると、前向きな仕掛けがしやすい。育ってきたやる気のある民間が公共空間の管理運営をするなんて仕組みもつくりやすい。そういう状況があってから、公園の改修計画を立ち上げるのが、一番やりやすいまちの変化のプロセスでした。そうすれば、すんなり地域の合意形成もできたでしょう。

そんな理想の流れとは違い、大工町公園の場合、民間の動きとは関係なく、改修されることが最初から決まっている。そうなると、まちの昔ながらの人たちの意見だけで後ろ向きにでもやることになってしまう。かろうじて、私が一つだけ仕掛けていたので、そこをフックに前向きにひっくり返しましたが、やりやすい流れではなかったことは確かです。
ほしい物事はほしいときには、起こってくれないものですね。。

誰の意見が地域の意見なのか問題

区内会とワークショップで、ベースになる案を巡って散々揉めましたよね。行政は地域の代表である区の意見を無視できないと言って、区も含めた合意形成を求めてきたわけです。しかし、そもそも大工町は、区内会に入っている住民が10世帯くらいしかいないのです。そして、マンションなどの新興住民が200世帯くらいいるけど区には加盟していない。なので、区の意見といっても、昔からいる地主さんや商店の人たちのものしか拾えていないのです。そして区は高齢の方も多いので、意見も保守的で何もやりたくないとなってしまいます。

一方、ワークショップでは、商店会に加盟していない若手の商店主や住民の意見を拾うような動きをしていた。なので、実際はワークショップの方が、より多くの市民の意見を集めていたはずです。

そして区とワークショップを合わせたものは、きっと地域の本当の意見と言えるものです。なので、区とワークショップが喧嘩しながらでも合意形成のプロセスを踏んで一つの意見にまとまったことは、とても民主的なプロセスとして必要なことだったと思います。

しかし、ここで疑問なのですは、そもそもですが、区の意見だけで公園整備をしようとしていた行政は正しかったのか?という話です。私がワークショップを頑張ってやらなくても、本来は、住民の意見をいかに集めるのかということは、別の手法でもやらなくてはならなかったはずなのです。

これは、色々なまちづくりの現場で見られる問題です。どこか地域を代表するような団体へのヒアリングをして政策決定をしがちですが、その団体が本当にそこに住む市民の意見を代弁しているのか。男性の経営者ばかりだったりして偏りがよくありますよね。真に民主的なプロセスは、未だ未完成と言えるでしょう。

もちろん、市民側も、既存の町内会は崩壊寸前だし、世代間の繋がりはないし、勉強はしていないしで、めちゃくちゃです。普段から、まちづくりについて議論したり、繋がりが出来るようなことがないから、こういう大事な局面になって揉めるのです。そこに行政があまり手を出したくないのも理解はできます。

でも、そこの面倒な合意形成や調整は結局必要なので、本来は誰が担うべきだったのかという話でもあります。たまたま大工町公園では私のような変わり者もいましたが、普通はそうではないはずです。地域の合意形成のプロセスに、そもそも予算と時間をちゃんとかけることが、行政としても、そもそも必要だったのではと思います。

私の大工町公園の評価は、60点

ギリギリ合格点をあげたいと思います。最低限、気持ちがよく使いやすい場所にはなっています。回る仕組みもなんとかできました。以下、なぜ60点かの解説です。

■評価できる点
まずは芝生広場をきちんと実現させてくれたことは評価に値します。なんだかんだ言っても、民間管理の芝生は初の試みでしょうから、実現させるためのハードルはあったことかと思います。

大きな木の下のステージは、イベントでも日常でも使える一番いい居場所になりました。電源も近くにあります。

花壇を兼ねた長いベンチは、座れる人数が多いし、座る場所を気分で選べたりと、何かと使いやすいです。

夜間の照明も、法定照度は頭上の照明でも足りているという話で無くなりかけましたが、薄暗いのは防犯上も居心地の点でもアカンという話をきちんと汲んでもらい、ベンチの下に仕込んだ間接照明を実現してくれました。

このように、一応は、日常でもイベントでも夜間でも、一定の居心地や使い易さが実現されています。

■残念な点 : 行政が独断したものは、利用者に寄り添っておらず使いにくい
本編では詳しく触れてませんが、電源の容量や数などは、要望していたものより、いつの間にか少ないものに相談もなく仕様が決定してしまいました。なので、イベント時には、配線を引き回さないと公園全体では電気が使えません。

花壇だってそうです。行政で初期に何か木を植えるはずが、いつの間にか、市民が管理する花壇だとして、からっぽの土のまま完成ということになってしまいました。あんなに沢山は市民では管理できないと伝えたはずなのに、今でも6割は土のままです。飛び出し防止の植栽のはずが、何もなくては効果も薄いでしょう。異動で担当者が変わったら意図が捻じ曲げられる典型です。

土のままの花壇
土のままの花壇2

花壇の中に、パラソルやのぼりが立てられる穴を用意してほしいと言ったら、固定がされていない鉄パイプが刺さっていて、スポスポで抜けてしまいます。

固定されていないパイプ

こんな話は実は細かく上げたキリがありません笑。どれもこれも、打ち合わせの話をスルーしたり、利用イメージが湧いていないのに行政が勝手につくってしまった結果です。

■公共空間のデザインには、小さいものでもプロが必要
建築家やランドスケープデザイナーが行政チームにいたならば、もっとどんな素敵な公園ができていただろう?と思っています。専門家が監修すると、上に書いたようなことは起こりえません。プロじゃないのに市民と行政だけで四苦八苦しながらデザインをする必要もありません。そして、異動で担当者がいなくなった後も、デザインの質や内容もきちんと引き継がれるので、電柱事件なんて下らないことも起こりません。

まちは、小さな公共空間の積み重ねなので、すべての公共空間において、本来はプロがデザイン監修するような行政の体制になるべきだと思います。これまでのシリーズを読んで頂ければ、行政のデザイン能力の限界はご理解頂けるでしょう。それなのに異動で来た担当者がエイやでつくってしまうから、質の低いデザインの公共空間が溢れ、まちの魅力が上がらないのです。

■もっと別の公園にできた可能性もある
同じ条件でも、プロなら全く別の案も考え出した可能性が高いです。それだけでなく、行政に、もっと初めからやる気があって勉強していたなら、Park-PFIなど別の手法で、カフェなどの商業施設を公園の中に建ててその収益で公園を維持管理するとか、もっとレベルの高い仕組みができる可能性もあったのですが、あの時点では最低限、何もない公園をやめさせる話にしか出来ませんでした。

以上、見てきたように、一応の使い易さや居心地の良さも実現されているものの、具体的な仕様や使い勝手や空間の質がイマイチ残念なことがある上、理想の公共空間デザインにもデザインプロセスにもできなかったという意味で60点なのです。ここから先の加点は、プロセスが改善され、デザインや空間の質が高まらないとできません。

これは公民連携の成功事例ではない

それでも大工町公園は、一応、公民連携の形にも最終的にはなっていて、行政だけでは出来なかった空間も仕組みも実現されています。でも、その表面の姿だけを見て、公民連携の成功事例だなんて決して思わないでほしいのです。

行政が、これを成功事例だと思って、今まで通りの考えのまま次を仕掛けたら、必ず失敗します。OSが古いのに、新しいプログラムは動かせないのです。普通の民間人は、私のようなお節介は焼いてくれません。来てくれるのは、結局、今まで通り高額の委託費を約束したときだけです。それでは、公民連携で行政が達成したいと考えるような費用削減も質の高いサービスも期待できないでしょう。

公民連携には、レベルの高いものと低いものがあります。前者は民間の力をフルで活用できる仕組みをちゃんと用意した民間主導の公民連携です。デザインの質も高くコストも低く、稼ぐこともできる理想の姿です。後者は、民間の力をうまく活かさず行政が主導して何でもやろうとするので、出来たものも使いにくいし、稼ぐことも難しく、今まで通り、高い委託費を払うか、安い家賃にでもしないと民間がやってくれないようなものです。今ある公共施設も官民連携とかPFIだと言っても、後者のものばかりじゃないですか?

前者の公民連携をやるには、行政は上から目線で接するというよりは、こんなにやり易い環境をつくるから民間さんどうぞ来て下さい!と、制度を整え、必要ならルールも変え、よい営業マンになるくらいの姿勢が必要です。民間が気持ちよく動きやすく稼ぎやすい環境づくりや仕組みづくりが出来ないと、そもそも成り立たないのです。

振り返ると、そもそも公園緑地課の態度は、一貫して、民間が提案することを「やってあげる側」のスタンスでした。民間は「やってもらう側」。だから、民間が動いて当然、仕組みも用意して当然、提案して当然、となるのです。そして何か提案しても、選ぶのは行政。しかも都合の悪い話は聞かなかったことにして、相談もなしに、いつのまにか決定している。さらに何かトラブルがあると民間がすべて悪いということになるのです。

行政としては、今まで通りの対応なのでしょうが、この歪んだ関係では、本来は公民連携はうまくいかないのです。公民連携は、民間と対等なパートナーとなるところからがスタートです。そして、民間の力を引き出しながら、事業として成立するものを苦労しながら共に構築するプロセス自体が、期待するような効果を上げる公民連携には不可分なのです。

ではなぜ今回、大工町公園は、一応の形になっているのか。それは、普通はありえないくらい裏で無償で私が動いていただけの話です。何も形がないところから、仕組みをつくり、関係者を巻き込み、今できるリソースの中で最適な形に組み上げたのは、行政側ではないのです。対等ではない行政との関係にいくら腹が立っても、公共空間を守るためにと、辛抱強く付き合い続けただけなのです。ちなみに、私がしていたことは、権限もないので力は出せないし、私自身もまだまだ修行が足りませんでしたが、本来は、公民連携エージェントというプロがやる「仕事」です。民間と行政の間に立ち、うまく事業化するというプロが世の中にはいるのです。

行政の勘違い

行政には、市民がボランティアで出来ることのに対しての大きな勘違いがあると思います。いっとき「新しい公共」と言って、これからは市民のボランティアだ!みたいなことが流行ったこともあります。だからかも知れませんが、無償でやって貰えてるときは、都合よく、これは市民の喜びなんだくらいに思っているのではないでしょうか。確かにそういうボランティアも存在します。でも、それは、無理ない範囲で楽しみながらやるものです。責任ある業務とは根本的に違います。

分かりにくいのは、町の組織は、商店会や町内会など、ボランティア色が強いものもあります。やってる本人もボランティアだ!と言う方もいるでしょう。でも、自分のお店や土地などがあるからこそ、まちが盛り上がることにはメリットがある。だから彼らは純粋なボランティアではないのです。

ちゃんとメリットや利益があるから民間が動くというのが公民連携の仕組みです。大工町公園も、利益やメリットがある部分とボランティアの部分が存在していて、その設計は、実はとても巧妙にできているのです。

行政マンには、プライベートで、どのくらい無償で地域のために動いている人がいるでしょうか。え、そんなのお金貰わなきゃやるわけないじゃんとほとんどの行政マンが思うのではないですか?自分に出来ないことを市民に期待するのは、おかしいですよね。その感覚で市民と接すると、トラブルが減ると思います。

行政と民間の違いとは

そもそも、行政と民間では、見ている世界も住んでいる世界もまるで違います。

民間は、答えは見えなくともビジョンを元に動きながら考えてトライアンドエラーを繰り返し、一つ一つ積み上げていく。
事業をより良くする為なら、どんどん内容を変化させる。時は金なりで、思いついたらすぐにトライする。そうじゃないと飯が食えないから決断も動きも早い。

恐らく行政とは真逆くらい違う。でも、そういう民間の力を活かすからこそ事業で稼いで公共に資することもできる。

こんなにも価値観の違う人種で手を組むのが理想の公民連携なので、そもそも行政側としても、何のための公民連携なのか、まちをどうしたいのか、民間と組むとはどういうことなのか、民間の力を生かすとはどういうことなのか、ちゃんと理解した上で制度や仕組みを整えて職員教育をしないと、うまく進むはずがないのです。

行政の失敗

行政の一番の失敗は、公民連携を政策的な位置付けがはっきりしないまま、ゲリラ的に始めたことでしょう。これによって、すべての問題が引き起こされています。もちろん、小さく成功事例をつくって大きな政策にという流れにしたかったのかも知れませんが、だとしたら、この大工町公園というパイロットプロジェクトから、大いに反省し、学び、生かしてほしいと思います。そのために全てを書いているのです。

公民連携をやるのに、まず必要なのは、政策的位置付けです。他の自治体では「公民連携基本計画」や「公民連携条例」などもつくっています。そうすることで、やっと全部署での「仕事」になる。そうじゃなければ、少数の前向きな職員しか本気でやらなくなってしまう。よく分からないから協力的じゃない。これが、大工町公園で起こったことの本質です。

職員の「仕事」にした上で、次に必要なのは「教育」です。民間の力を最大限に引き出すには、今までとは全然違う仕事の進め方をしなければならないのです。なぜ私が、何度も何度も職員に公民連携の思想を啓蒙しないといけないのですか?本当は、行政でちゃんと職員教育までしておいてもらわないと一緒に仕事なんてできないんです。

これまで見てきた行政とのトラブルは、公民連携の政策がちゃんとしてて、職員教育がちゃんとされていて、あわよくば異動がなければ、一つも起こらなかったと思いませんか?

建物を建てていない大工町公園でこれですから、全国でやっているような建物をつくって民間が経営する、稼ぐ公共施設なんてハイレベルなものが、今のいわき市にできるはずがないんですよね。。私が、色々な場で、今のいわき市では公民連携は無理だと言っているのは、大工町公園での苦い経験があるからなのです。

まちの次のステージ

さて、色々不満もありますが、大工町公園は、最低限、緑豊かな人の居場所にはなりました。それでも、まだ公園が綺麗になっただけです。まちが再生するところまで持っていくには、公園自体の魅力アップとともに、ichiに代わる公園周辺の不動産の開発をまず1つ仕掛けないといけません。その1つがうまくいくと、次々にお店ができるような流れもできるでしょう。幸い地権者にはこの思想が分かっている方がいるので、そのうち仕掛けてくれるはずです。そこから民間の土地も公園もどちらも良くなっていく、まちの再生の正の循環に入っていくかなと思います。

手持ちのカードでやるのがまちづくり

総括編では、こんな状況があったら良かったというタラレバの話をたくさんしてきましたが、当時、無かったものは無かったのです。リソースは常に足りない。それが真実です。それでも、どうにかない知恵を絞って、手持ちのカードを切りながら、出来ることをやり続けるしかなかった。そうしてどうにか辿り着いた結果が今なのです。だから、反省は沢山ありますが後悔はありません。次に生かすだけです。

失敗から学ぶ

成長には、トライアンドエラーのプロセスが絶対に必要です。失敗は悪ではなく、次に進むための最大の学びの宝庫です。
失敗するから、次はうまくやれる。失敗しないと何も学べない。本読んだりセミナーで学んだだけでは生きた知恵にはなりません。そう、失敗するところからが始まりなのです。
私も行政も沢山失敗しましたね笑
なので、お互い次はもっとうまくやれますよ笑

私の今後

しばらくは、シングルファザーで子育ても忙しいので、自分から大きなことを仕掛けはしないでしょう。それでも、経験と反省を生かして次のチャレンジをそのうちしたいなと思います。

最後に

まちづくりに関わっているという方は、いい経験をシェアしたはずなので、私と同じ失敗はせずに、ぜひ、もっとうまくやってください笑。行政も、批判を恐れず、どうかこの経験をなかったことなんかにはせず笑、ちゃんと反省をして次に活かしてください。

以上、これで大工町公園シリーズを終わります。長編のご愛読ありがとうございました。


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