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湯本駅前の再開発へのパブリックコメント

いわき市の湯本駅前の再開発の素案が公開され、
市民からのパブリックコメントが21日まで募集されています。

市の公開資料へのリンク
http://www.city.iwaki.lg.jp/.../1652852347713/index.html...

いつも言ってしつこいですが笑、沈黙は同意と同じです。
市民が何も意見を言わないと、このままどんどん計画は進んでいって、いつのまにか市民が望んでいない駅前が出来てしまうかもしれません。
そうならないための、民主的なプロセスが用意されているので、
ぜひ多くの市民が意見を言って、議論や検討が進むことが必要なことだと思っています。

さて、私からのパブリックコメントも、名前を伏せてですが、どうせ公開されますので、ここに掲載しておきます。長文ですが笑、ご興味ある方はご一読頂ければと思います。

まあ、批判も沢山してますが笑、よりよい街の未来のためであって、関係者に悪意があってしているものではないことは、ご理解頂ければと思います!

以下、パブコメ本文です。

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今の素案が、誰がどのようなプロセスで考え描いたのかが大きな問題だと感じています。もし行政が書いたとするなら、単なる検討の一つとして描くのはいいと思いますが、これがこのまま大きな反対もなければマスタープランになっていくのではと憂慮しています。
マスタープランは、どんな町にするのかという骨格です。湯本がこの再開発によって生活の質を上げたり、観光客を集めたり、稼ぐことが出来るような、皆が期待するような新しい町の構造になるのかは、マスタープランにかかっています。

「町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト」という岩手県紫波町の公民連携事業について書かれている本の78頁〜には、「従来型の区画整理の絵と道路のパターンが決まった瞬間に、価値のないまちができあがってしまう」とあります。

本当にその通りだと思います。市役所の職員が自分たちで、またはその開発に責任のないコンサル会社に書かせたものなら、指摘にある「価値のないまち」になると思います。異動で数年しかいない市の職員は、都市開発やまちづくりのプロフェッショナルではありません。コンサル会社も、クライアントに反対されるような尖った提案はせず、どこかの焼き増しのような無難な絵しか出してきません。まず、そのことに自覚的になるべきかと思います。

また、市民の意見をいくら聞いても、地権者や周辺関係者の意見の調整だけして合意形成しても、いい素案もマスタープランもできません。市民にも意見は当然ありますが、プロではないのです。意見は個人的なものを含めた玉石混交であり、全ての意見を聞くことは到底無理だし、要望は総花的になります。

そして、今出ているコンセプトも、市民も行政も頑張ってつくったものだとは思いますが、具体的な空間を縛る要素があまりないので、どんな街の形をつくっても、コンセプト通りと言えてしまいます。そんな状態なのに、すでに具体的な空間の配置が素案で示されているのです。これが、プロではない行政が、プロではない市民の意見を元に、これまでの常識で考えて描いた素案なら「価値のないまち」に足を一歩踏み入れている可能性が高いと思います。

私の言いたいことは、もう分かると思いますが、今の湯本の再開発のプロセスに欠けているのは、プロの視点と意見です。

これからの温泉街やまちはどうあるべきなのか?何を目指してどういう構造の駅前にしなければいけないのか?という根源的な問いに対しては、行政も市民も意見を言える人は少ないでしょう。それは、その道のプロの領域なのです。今からでも、各分野をまたがる専門家複数人によるデザイン会議をつくり、ちゃんと議論してもらう必要があると思います。専門家やデザイナーの出番は、配置が決まった後の最後のお化粧程度に考えているなら、湯本の再開発は失敗すると思います。

ここからは、具体例を出して説明します。
前述した紫波町のオガールプロジェクトでは、松永安光氏という建築家のマスタープランによって全体が計画されています。そこには、中央に街路のような長い広場を挟んだ施設群という配置と設計が最初から意図されています。それらが海外の歩行者優先の商業開発で成功し有効なことが分かっており、また、その施設群の後ろには、公共施設への駐車場の位置も戸建住宅を分譲することも初期から決まっています。それらがベースにあり、区画整理も道路のパターンもすべて行われているのです。それは、区画割と道路のパターンを行政が決めた後に、建築家が建物をつくるというものではなくて、区画も道路も建物もランドスケープもすべて統合されたコンセプトと設計意図がありデザインされているのです。そうしないと、あのような街は生まれないのです。区画と道路が行政に決められてしまった後では、建築設計が街に対してできることが半減してしまいます。せっかく区画や道路からの再開発なのですから、そこからプロに検討させるべきかと思います。

素案の中での具体的な話として、駅直結の交通広場についても同様です。
日本でも、姫路など再開発に合わせて駅前を自家用車の進入を禁止して、公共交通のみの進入可としているまちもあります。しかもバスタクシーのロータリーも少しずらした位置にあります。そうすることで、駅前の歩行者空間を物理的に広く取り、一歩進んだ歩行者優先のまちの構造を実現しています。湯本でも、「車から人へ」と記載があり、そぞろ歩きを推奨するというときに、そのようなことは検討しないのでしょうか?

何かを選ぶことは何かを捨てるということです。交通広場にすることで、駅前の貴重な空間の半分は、よくある交通ロータリーになってしまいます。検討の結果としてそれを市民が選んでいるならいいのですが、なんとなく今までの常識で、各交通は駅至近で直結すべきという発想でいると、ロータリーは少し離れたところに置いても歩行者優先の空間にするというような発想は出てきません。もし草津温泉の湯畑が広大な交通ロータリーだったら、草津は日本一の温泉街になるでしょうか?ランドスケープや空間体験はそれほど重要なのです。

また、素案に描かれている道路も自家用車の進入を想定しているものばかりです。せっかく再開発をするのですから、再開発エリアと接続する商店街も含めて歩行者天国化するくらいの検討があってもよいかと思います。自動車交通によって、歩行者が道の端に寄せられ、申し訳なさそうにしている観光地は日本中にあります。それを根本から変えるチャンスなのに、今までの道路の考え方でいいのでしょうか。歩行者専用にしたときには沿道の賑わいやエリアの価値も大幅に上がります。そういうことを検討した結果の素案なのでしょうか。

検討が浅いまま区画や道路のあり方を先に決めてしてしまうと、今書いてきたような、ランドスケープと一体になりデザインされた街の構造をつくる可能性も、一歩進んだ歩行者優先のまちをつくる可能性も、最初から失われてしまうのです。

もし、今までの議論で、この位の話が行政からも市民からも出ていないのであれば、検討に漏れがある証拠であり、集めたメンバーでは議論が充分ではなかったということなのです。まちづくりに少し詳しいだけの私でさえ、この程度のことは考えるのですから、本当のプロは、もっと色々な視点で、初期段階から検討するはずなのです。そうしたプロの議論の上で、湯本の未来として何を選択するのかを、行政や市民で考えればいいのです。本当のプロを活用する有効性や、行政と市民だけで考えたベースの上で開発が進む危険性が少しでも伝われば幸いです。

余談ですが、プロを集めたデザイン会議は、何年にも渡る再開発の期間中に行政の担当者が異動して、後任次第で内容が変わってしまうというリスクに対して、デザインや開発の継続する監修の仕組みにもなりえます。その意味でも、有効な仕組みです。ぜひ導入をご検討ください。

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以上


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