押し付けあいたくない
私は他者との価値観の違いに寛容な方だと思う。政治観、宗教観、などは割としっかり思想があるれど、他者や社会を変えようなどとは思っていないのであまり人と共有しない。社会や他者は変えられなくても、自分の関わる30人を少しポジティブな気分にしたり笑わせることはできる、そういう考え。
こういう価値観になった理由は、10代〜20代のころに散々揉めたから。
あとは、今から話すこの経験も大きいかな。
ヨーロッパの某国の友人の家に居候していたとき、料理上手なお母様が作ってくれたクリスマスの伝統料理がこれ。
私は甘いもの耐性はない方だとおもう。
でもお母様はとても慈愛深い目でこちらを見るので涙目になりながら完食しようとした。
「まだパスタがあるのよ。出すの忘れていたわ」とお母様が言った。よかった。おなかがすいていたから、普通のパスタが食べたかったんだ。ケチャップかけただけのやつでもいいから、普通のものが食べたいな。
お母様は台所に戻りにっこり笑顔でこれを持ってきた。
同じじゃないですか!
泣きながら私は2〜3口、口をつけた。
そのとき 「弱子のためにライスも用意したのよ」と言われてホッとした私が目の当たりにしたものはこれ
「弱子はいつもお米に何もかけずに食べるでしょう。遠慮なんてしなくていいのよ。シナモンと砂糖もかけてあげたからね」
とても優しいお母様である。敬虔なクリスチャンで、見返りのない優しさを周りに振りまくお母様を私は敬愛していた。そのお母様がクリスマスのために頑張って作ってくれたご馳走である。悲しませたくない。
その国では「クリスマスのために動物を殺生してはいけない」という古い言い伝えによって、チキンではなく煮た鯉を食べる。鯉は骨が多くて口内に小骨が刺さる。軽く小骨が刺さりながらも私は笑顔を作った。
3品とも完食こそ出来なかったものの、どれも半分ほど食べてにっこり笑ってみせた。
それにしても、とても喉が渇いた。
水を、水を下さい…
だかしかし、「水を客人に出すなんてとても失礼なことだ」と信じている敬虔なクリスチャンのご家族。台所に置いている私の水は飲ませてくれなかった。
「じゃくこが日本から持ってきてくれた緑茶をいれるわね。でも私たちには苦すぎたから飲めないのよ。こうしたらもっと美味しいわよ。」
「やめてええええ」と私は叫び、つたない現地の言葉とジェスチャーで必死に、砂糖を入れるのをやめるように頼んだが遅かった。
その日のクリスマスディナーは「じゃくこはあまり食べなかったわねぇ、調子が悪いのかしら、心配だわ」という優しいお母様にひたすら笑顔でお礼を伝えることしかできなかった。
ちなみに、私が日本からお土産として持ってきたもの
・生ラーメン
・いわしの缶詰め
・豆腐
・レトルトカレー
・緑茶
しかし全てお母様の口には合わなかったようだ。全敗。
後日、刺身が苦手というお母様と一緒に行ったJapanese Sushi 屋でお母様が注文した寿司はこれ
食の好みって本当に人それぞれだな、長年培ったものは変わらないから他者に押し付けるのは絶対やめよう、と思った出来事でした。今回の場合は極端な例だけど、同じ国でも地域でも家族だとして、分かれるからね。
お互いの違いをリスペクト(距離を持って尊重すること)できたらいいよね。
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