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マイ・ストーリー1

私は京都府の一番南にある木津川市(旧加茂町)に生まれました。父は公務員、母は美容師(美容室経営)職業としては対局の両親を持ち、2歳下に妹が生まれました。小さい頃はままごと遊びが好きな大人しい女の子だっと聞いています。

地元の保育所、小学校、中学校、高校に通い、クラブは中学ではバレーボール部、高校では軟式テニス部。どちらも副キャプテンでした。

本当に田舎に住むごく普通の学生時代を過ごしたのでした。

進路については母親からは美容師になったらあかんでと言われてたので、美容師の道へは進まず(本人も特になりたいわけでも無かったので)

それより保健室の先生になりたいと思って、某短大の保健科養護教諭コースを受験するも見事に不合格!!

人生初めての挫折です!!!!!!

結局、第二志望の保健科医療秘書コースに引っ掛かり、医療秘書コースに行く事になりました。

大阪の短大へ通い、都会に住む友達もでき、これが大学デビューってやつですね笑笑

髪も当時流行ったロングソバージュ。周りはワンレンかソバージュしかいなっかった時代。そんな短大生活を謳歌し、いざ就活へ!!

就活は上手くいき、警察病院のクラークに採用されました。しかし半年で退職する事に。

今から思えば当時の私のマインドが低かったのです・・・

私は学生時代は本当に沢山のアルバイトを経験してきました。春日大社の巫女さん、ミスタードーナツの店員、ファンシーショップの店員、選挙事務所のお茶汲み、ホテルの喫茶ウエートレス、イベント会社からの派遣など

どれもそつなくこなして、重宝されました。

ところが、新卒で入った警察病院では人間ドック科に配属され、仕事は本当に忙しく、看護師さんでも事務員さんでもないクラークという立場が自分を苦しめ、なかなか職場にも馴染めず、仕事で認めてもらえない事でどんどん自信が無くなっていきました。

早く辞めて楽になりたい・・・

そう思うようになり、半年で退職願を出しました。その時初めて上司から良い子が入って来てくれたと喜んでたのよ!という言葉を聞いたのです。

その時わかったんです。全ては私の為に厳しくご指導下さっていた事を!

でもその時の私は自己肯定感もマインドも低く、病院での半年間はネガティブにしか見えなかったのでした。

続いて私は地元の信用金庫に入庫するのです

続きはマイ・ストーリー2へ



マイ・ストーリー2に続く






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