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20年待ち続けてきたパゾリーニとの対面スタート!

この機会を20年近く待っていた。遂にこのときが来たのかと感銘をおぼえる。9日間で短編も含め私の未見の映画ばかり17本、すべての前売りを購入した。本日から緊張と興奮の怒涛の映画体験がスタートする。

わたしの好きな映画作家は、実存的な葛藤や苦しみから逃げることなく正面から対峙し、己の問題意識と主体的に格闘し、その格闘の痕跡を作品に残すような作家である。つまり面白いかとか、泣けたとか、そんな些末なことは全く関係ない。自分の人生と自分の残した作品が一直線上にあるような作家である。分かりやすく換言するなら、わたしの好きなのは、”魂の作家”ということになる。そう、メロドラマやエンタメとは対極にある映画作家である。パゾリーニは、まさにそうした数少ない“魂の映画作家”のひとりである。

詩人、小説家を出自としたパゾリーニ。パゾリーニのように活字の世界と映像の世界を跨いだ作家というのは、よくよく考えてみると意外に少ないように思う。一体誰がいるだろうか。

大島渚はたしかに多くの著述を残しているが、やはり彼の立ち位置は映像の世界が中心であるし、彼の残したものは評論が中心である。小説家や詩人という側面からはかなり遠い。

松本俊夫は、文筆業においても非常に尖ったものを数多く残している。しかし彼の残したものもやはり批評、評論が中心であったように思える。

海外に広げてみると、詩人で小説家のジャン・コクトーが真っ先に挙げられるかもしれない。あとはマグリット・デュラスやアラン・ロブ・グリエもいる。批評が中心であるがゴダールもそのなかに上げるべきであろうか(コクトー以外、未読)。ぱっと思いつくのはそれぐらいしかいないように思う。文筆と映像の二極において高いレベルの活動を続けた作家というのは、本当に数が少ないように感じる。

わたしの知る限り、詩作と映像という分野で活躍したパゾリーニに最も近いのは、歌人であり劇作家であった寺山修司ではないかと思う。作風も作家の問題意識も全く異なるものの、詩作を得意としている部分において強い共通点を感じる。

まずは映画処女作『アッカトーネ』からスタートである。


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