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映画 チョコレートドーナツ

こんにちは。jocoです。

今回は映画の話。(ネタバレあり注意)
2014年公開、チョコレートドーナツ。

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マイノリティの人たちが出て、考えさせられる内容になってます。
一貫して愛がテーマだと感じました。人に対する愛。人を守るという、純粋な想い。
しかし、その純粋な想いが通じない、やるせなさ、マイノリティに対する偏見、個人の非力さ、物語自体は悲劇なのですが、久々にいい映画でした。

あらすじを少し。
ゲイのカップルのルディとポール。
ルディはゲイバーで口パクで歌を歌うダンサー。
ポールはゲイを隠している弁護士。
その二人が、ダウン症の子供、マルコに出逢い、マルコの運命を変えるべく司法と戦う物語。
マルコの母親は麻薬常習者で、ある時警察に捕まってしまい、マルコは一人ぼっちに。
ルディは元々、マルコと同じアパートに住んでいて、一人で廊下に佇んでいるマルコを見て、可哀想と思い、自分の部屋に招き入れる。
ルディとポールはマルコの母が刑務所に入っている事もあり、一時的に生活を共にする。
徐々に、お互いに深い愛が生まれ、本格的に親権を争う事に。
二人はマルコを幸せにできるのは私たちだけ、という強い想いがあるが、理解されず、ゲイに対しての論点にすり替えられてしまい、裁判に負けて、手放してしまう。
母親の元に戻ったマルコは母親が彼氏と麻薬に入り浸り、情事に勤しんでいる間に、アパートから抜け出し、何処かを探して3日間歩きまわった末、橋の下で死んでしまう。

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心を打つのは、親権を争っている裁判の中で、ルディとポールのゲイについて、論点が流れてしまっている最中、裁判長や検事に対して、
“ある一人の人生の話をしている。あなたたちは気にも留めない、もらい受ける人は決して現れない。何故ならダウン症だから。一生を施設で生きることになる子。
でも私たちはその子、マルコと一緒に生きていきたい。
育てていきたい。
立派な大人に育ててみせます。”
(厳密な言い回しは違うかもしれませんが)

といった内容の言葉をポールが熱弁する場面が出てきます。胸をつきます。
舞台は70年代。
今となっては性別にボーダレスな風潮があるものの、その当時の偏見や嫌がらせなど、凄まじいものがあった事でしょう。
そんな中でも二人は純粋な想いから、マルコの正義のために、一生懸命戦っているのです。
しかし、親権は母親のもとへ戻ってしまうのです。
ある検事の差し金によって。

正義とはなんでしょう。
ある人に対してみたら正義ととられる面も、違う人にとっては悪になります。
それでも、どちらか選ばなければならない場合、
もともとの力、持ってる立ち位置でも結果は大いに変化するが、力でテコ入れすればそこに傾いていきます。
そこには人の意思があるのです。
意思の前に思惑があります。
賢い人間たちが社会的弱者を追い込んでいく描写。
ある人にとってはとるにも足らない出来事が、当事者にとっては人生も変えるほどの出来事、ということは往々にあるわけです。
人は、想像をする事のできる、賢い生物のはず。
そんな生物が為せることとはいったい何なのでしょう。

日々の生活の中でも、ある人にとっては得で、ある人にとっては損。そんな事はざらにあります。
その皆も持ってる感覚が、ある時には人の人生を変えるほどの判断に繋がってくる。
場合にによってはその命の長さにもつながってしまう。そこまで想像できる人がどれほどいるでしょうか。

この映画の最後の10分。
泣けます。

最後に、
マルコの好きなものは、
金髪の女の子のお人形と、チョコレートドーナツ。

こんな、素敵な映画に出会えたことに感謝。

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