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ただ生きればそれで良いだろうに

正しく生きたいと思って、正しく生きられなかった時に責められる世の中になってしまっている。
「正しく生きなければ。」という、生きているだけで発生してしまっているプレッシャーに息切れをする毎日である。
世間で言われている正しさというものは、常識や普通と言った言葉に言い換えられると思う。多様性と言いながら常識から外れたものに石を投げる世の中になってしまっている。
レールから外れた時に、レールに戻る術が今はほとんどない。というか戻らないと駆逐されてしまう。本当はレールから外れても良いんだ、レールなんてただそこにあっただけなんだから、と誰かが気付かないといけない。誰もがそのことを内緒にしている。

正しく生きることは間違いではないのだけれど、正しく生きれなかったことが間違いとは言えないだろう。本当は生きているだけで良いのだ。
インターネットが普及して、以前よりもさらに情報の平準化が起こり「これが普通」の概念がより強固になった印象がある。この「これが普通」というマジョリティによってマイノリティは真綿で首を絞められていく。現代の息苦しさの原因の一つは間違いなくこれだと思う。答えがないから難しいけれど、だからこそ正しさもない。特定の誰かを(例えば親族とか)を悲しませたり苦しませたりしていなく、また自分自身を苦しめていないのであれば、その人にとってその生き方は間違いではない。だからその生き方が間違っているのではないか、誰かに指を刺されてしまうんじゃないか、と悩むんじゃなくて近くの、或いは隣の大事にすべき大切な人が悲しんでいるかどうか、そして自分が悲しいか/苦しいかに対してきちんと向き合うべきだと思う。後の周りは正直どうでも良いでしょう。

綺麗な音楽がしたい。
何かその「生命の美しさ」のようなものと向き合った音楽がしたいしそういう詩を書きたいと思っている。

綺麗、とひとえにいってもそれは見た目の話ではなく、もっと根幹の、言ってしまえば魂の美しさ、それを歌いたい。

自分の中の嫌いなところ、色々あると思う。たまに口が悪くなってしまうところ、寝坊してしまうところ、食べ物を残してしまうところ、他人を妬んでしまうところ、勝手に泣いてしまうところ、自分に向けてじゃない言葉で傷付いてしまうところ、、、、、、
でもこれを「自分ではない、自分はこうではない」と否定してしまうと、結局自分を否定してしまうことになってしまい辛くなってしまう。
汚れと思ってしまうかもしれない。いらないって捨てたいかもしれない。けれどそれも生命の一部で嫌な部分も良い部分も合わせて君で、その中で命を燃やしているそのことがとても綺麗で美しいと思っている。

僕も色々と精神的にやられることがあるけれど、ありがたいことに体力があるせいか乗り越えられる力があった。だから、同じように生きづらいなって感じている人たちの代わりに歌わないとなってとても思っている。

ただ生きているだけで良い。
生き方に正しさなんてない。
だから安心してねって君に伝えたい。

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