水源⑦

第6話はこちら

(海水を飲み込み続ければ,いずれ僕はクジラになって,この地球上で一番大きな哺乳類になるだろう.僕らは人に対して本当に意地悪だから,誰彼かまわず傷つけあう.だから,もういっそ人ではない生き物になりたかった.そう願ったら僕はいつのまにかクジラになっていたというわけだ.何故か僕ら人類は同種の人間に対しては,これ程かと思うほど冷たい.海はこの地球上のすべての感情の原点だから,僕がそれを全部飲み込んでしまった.悪も善も.人間達は僕の存在に恐怖し,世界中が僕を殺すために団結していった.やがて僕は耐えきれなくなって破裂してしまった.海はもとに戻り,世界に平和が戻った.僕が死んだことを人間達は祝福した.)

......


君は死んでしまった.当然だ,不治の病に侵されてしまっていたのだから.あの日の嘘が本当になるとはな,嘘なんてつくものではない.君が死んだ時から,よく考えたら一度も泣いていない.感情が凍結してしまったかのように日々を過ごしている.僕は機械になってしまった.人に肩をぶつけられても何も感じず,ただ黙々と歩き続けている.悲しみ方も忘れてしまった.僕は毎日様々な感情の仮面をつけ外しすることで,ニンゲンを保っていた.


嘘です.本当は夜にいても立ってもいられなくなって泣いてしまいそうなくらい悲しいです.だって,日々を繰り返すうちに,君との記憶がどんどん薄くなっていくんだから.あれだけ大切にしようと,記憶を金庫に入れたのに,全く意味をなさない.僕は本当に馬鹿なダメ人間だ.雨が降ったら傘をさしてしまっているし,濡れたらやっぱり嫌だなって思ってしまう.嘘つき者だ.やっぱり僕が死ぬべきだったよ,神さま.
でも,まったく泣けないんだ.まるで感情に鍵がかかってしまったかのように涙が出ない.悲しいという気持ちだけが頭に残り続けている.きっと僕が泣いたら,君が泣けないからだ.誰かに話したら,「それは呪いだよ.」って言うかもしれない.けれど,それでも良いんだ.これが呪いだとしたら,それは嫌な呪いではない.呪いのおかげでこのまま永遠に僕の記憶の中に残り続けるのであれば,喜んでこの呪いを受け入れよう.もうこんな僕には呪いを受けるしか君を覚えている方法がないのだ.


「泣かないよ」

僕が泣かないことで,君が泣くことができるのであれば,僕はもう機械でいようって思うんだ.僕がこの世界に生きる意味なんて,君がこの世に居たことを覚えているくらいしかないのだから.だから,君はわんわん泣けばいい.その雨で僕は少しずつ錆びていきたい.


「ばか,君は泣いて良いの,私達の感情は地上から吹き出る水のように,留まることを知らないんだから.」


「泣けるわけないよ」


「泣いて良いの,あなたの感情はあなただけのものだから.あなたが大切にしてあげないといけないよ.」

「泣けないんだ,どうやっても.時間が過ぎ去るに連れて,夜を過ごすに連れて,月を見上げるに連れて,君との記憶が光速で薄れていくのがわかるんだ.あれだけ君を記憶しようと焼き付けていたのに,全く意味を成さないんだ.手からどんどんと抜け落ちていってしまう.」
「何度も拾おうとしたんだ.でもこぼれ落ちたそれを探そうとしても,どれだけ地面に顔を押しつけても見つかりやしない.一度こぼれ落ちたそれは,もう二度と僕の視界には入ってこないんだ.君が居たということ.居ないということ.悲しいということ.それだけが僕の頭の中に残っているんだ.苦しいよ.」

哀しいよ.


......


君の最期はとても静かだったと聞いた.君の死に目には立ち会えなかったっし,君の葬列にも僕は並ばなかった.現実を目の当たりにしたくない,ということもあるけれど,僕が行ったところで何も変わらないことがわかっていたからだ.君が最期まで耐え抜いた「孤独」を僕は尊重したかった.
(僕が君の弱っていった姿を見ないように.記憶の中の君がずっと美しいように,君は孤独でいたんだ.そうだろう?)
僕の記憶の中の君は,遠い光の中の靄の中で手を振っていた.


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