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水源②

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からっ風がふくと,君はいつも悲しそうな目をしていた.僕にはその理由が今でもわからない.
「どうしたの.」ってきくと笑って,
「なんでもないわ.」って言うんだ決まって. 僕はその都度不安な気持ちになるのだけれど,あと一歩を踏み出してしまったら手のひらから溢れてしまいそうで,いつも踏み出せずにいたんだ.


病室の扉が少し空いていたので中を覗き込むと,君が窓の外を見ているのが見えた.
「神さま,私は今とても幸せです.願わくばこの幸せをもう少し長く感じていたいのです.これは何に対する呪いなのでしょうか.私は,何か悪いことをしたのでしょうか.全てのいきものには,それぞれの生命に長さがあり,きっと私の長さは他の人より少ないんだとわかっています.それでももう少しだけ生きたいと思ってしまうのは,罪なのでしょうか.」



(まるで祈りみたいだ.)



僕はそう思った.居もしない神に祈りを捧げる彼女の横顔があまりにも美しくて,僕はしばらく病室に入ることができなかった.


......


「今日も冷えるね.」
その祈りのような独り言をひとしきり見終えた後,僕はゆっくりと部屋に入っていった.
「君の好きな果物を忘れてしまったから,適当に買ってきたよ.りんごの皮は自分で剥ける?メロン買ってきちゃったから,一緒に食べていいかな.僕も好きなんだよね.」
「ふふ.もしかして君,自分の食べたいものばかり買ってきたんじゃないの?」
「え?そんなことあるはずないだろ.たまたまだよ.」
ばれたか.

メロンは少し季節外れだったらしく,そこまで甘くはなかったけれど,君はとてもうまそうに食べていた.

しっとりとした梅雨が去っていき,初夏が足音を立ててやってきた.白いカーテンは風にバサバサと音を立て揺れて,柔らかい君の髪の毛は優しい匂いがした.夏には良い思い出も悪い思い出もない.小さな頃はしゃいでいた夏祭りは,町の都市計画によって公園が破壊され随分昔になくなったし,駄菓子屋のおばあちゃんはいつの間にか亡くなっていた.隣のお兄ちゃんは成人とともにどこかへ消えていったし,僕だけがこの町に取り残された感じがしてしまう.夏は嫌いだ.
セミの鳴き声は耳をつんざくような響きがして,いても立ってもいられなくなる.突然飛んでくるし本当に怖いせいぶつだあれは.
そのことを熱を込めていったら君に笑われた.納得がいかないぞ.

もうこの四角い部屋に来てからどのくらい経つんだろう.
人が死ぬということは頭では理解していたけれど,当事者になってみないと何もわからない,ということがわかった.僕は早くに親をなくしていて,ある種天涯孤独というやつだ.「し」という概念が定着できずにこの歳まできてしまったから,君の存在はとても危うくて,抱きしめるだけで砕けてしまう気もしてしまう.倒れた後の世界は一変して.すべてが君を奪っていく悪者のように見えてしまい気が滅入る.
僕にできることは,なるべく長い時間君と一緒にいて,どうにか回復を待つことだけだ.

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