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黄金

この間人生で2回目のサウナをした.外気浴の時に外の冷たい空気と身体の間に熱の幕を感じ,小さい頃父とデュエル・マスターズのカード取りっこ(父が購入していたパックを数パック開け裏返しにし,それを父と交互に取り合う.良いカードを引き当てるとハッピーという遊び)をした際に欲しいカードを当てるために上から手を当ててカードと手の間の空気の幕を感じていた(今考えれば意味ないことだが,当時の僕はそういった「気」のような存在を信じており,また使えると思っていた)ことを思い出し少し泣いた.今父は以前と変わってしまったような,変わっていないような,僕が変わってしまっただけか,わからないけれど歯車が噛み合わないことが多く,少し悲しい.

時の流れは残酷とかありきたりな話はしたくない.僕は僕だけの時間を生きているに過ぎない.寂しさは感じない,あるのは虚しさだけだ.命の秒針が時を刻み,電池切れまで動くだけである.自分の死についての恐怖はないけれど,家族の死についてはなぜか具体的な重みを持って脳内を埋め尽くしてとても悲しいなと思った.

USBメモリのような半永久的な記録メモリを人類は持ち合わせていないから,少しずつ削られていく記憶を空想で補うようになる.1ビットずつ劣化していく記憶に補完がされていき,最終的には美しい記憶となる.僕らの脳はよくできている.

今までの記憶全部が本当に美しいものだけだったのならどれだけよいだろうか.あの日,やたら空が青く見えたことだったり,白い日差しが透明に見えて時間の流れがゆっくりに感じた午後2時の光だったり,どれも現実であったはずなのに,もう本当の記憶かどうか疑わしい.あの日父と食べたラーメン屋はもうずっと昔に潰れてしまったように,すべてのものは移り変わっていくのだ.それは人もきっと同じ.

腹が立っても父を蔑ろ(蔑ろとかいてごめんね.)にできないのは家族だからということもあるがそれ以前に過去の記憶があるからで,同時に変わってしまったことも理解できてしまうから許容してしまう.僕が大人になったということもあるが,なんだかんだ僕らを優先して生きている人だと知っているからだ.どうにも言っていることが矛盾することもあるが,それでも僕にとっては以前の父の影を見るし以前の父なのだから当然といえば当然だ.家族仲というのは複雑でまた性差もあるから余計にこじれているが,僕は一方に肩入れすることはなく平等に見ていかないとだめだなぁと心から思うのだった.

外気浴に触れて肌寒さとサウナによって火照った身体を,上空から青空が見下してきていてとても良かった.こんなちっぽけな人間なんだ僕らは.でもサウナ×水風呂は間違いなく身体に悪い.

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