死にたい人に生きる事を求めた結果、自殺に追い込む

生きたい人は、生きればいい。当たり前だし、誰も文句を言う権利もないと思う。
でも、死にたい人にまで、生きる事を求めるな。生きるか死ぬかはその人の自由であるべき。

同じ病気の苦しみでも、闘病しようとする人もいれば、苦しみたくない人もいる。でも、世の中で取り上げられる声は、闘病しようとする人だけ。ALS患者の女性が医者に金を払い、安楽死した事件では、生きたいALS患者の声しか社会は取り上げない。死にたい人の声こそ取り上げるべきだろう。

死にたいほど苦しむ人に何が出来るかこそ、社会に問われている。

いじめの事件が起きたら、事件の当事者や周りに話を聞くだろう。どうして死にたい人に話を聞こうとしないのか?
そもそも死にたい人の声を取り上げようとしない環境が、「死にたい」と言い出しにくい環境を作りだしてはいないか。

死にたい人に「相談しろ」と言う前に、相談しやすい環境を作るべきだが、死にたい人の声を取り上げない社会が、言い出しやすい環境と言えるだろうか?

この社会は、自殺を止める、死ぬのを止める、ばかりに力点が置かれ、死にたい人自身のことを考えていない。

死を望んでいるのに死なせないのは、生きる事を望んでいるのに生きさせないのと同じこと。

死にたい人の心を殺している。

”生きたい”を他人に押し付けた結果、死にたい人を自殺に追い込んでいると気付け。


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