安楽死があれば前向きになれる

安楽死があれば、自分の死にたいときに死ねる。それだけで心が楽になる。
「もう我慢できない」となれば逃げられるのだから。

今の社会は、逃げられる場所がない。
死にたいと思っても、どこにも救いがない。

「死にたい」と口にした瞬間から、異常者扱いされる。
以前、親が相談した病院では「”死にたい”とか言う人は入院です」という具合。
でも、治療法のない病気で苦しむ人が、それを理由に死にたいと思うことが異常でしょうか?

病気であることに”快楽”を感じるよりは、よほど正常だと思うんですけど。

「死にたい」と思うことが”普通”である社会になるべきだと思っています。社会に合わない、生きたいと思えない人がいることを認められる社会にならないと、死にたい人が「死にたい」って言いにくいんですよ。LGBTQの方も、カミングアウトしにくいのは、社会が許容しているように思えないからだと思います。死にたい人も同じこと。「死にたい」と思うことが、”普通”扱いしてくれればいい易くなる。

相談すれば、解決する苦しみもあるでしょう。一方で、相談ではどうにもならない苦しみもあることも事実。
死ぬ事を気軽に相談でき、なおかつ相談しようと思える希望ある場所にするためには、安楽死という選択肢を用意したほうが良いわけです。

安楽死するために相談を必須とすれば、今のように誰にも相談できないまま自殺する人を減らせるでしょう。

安楽死制度があるからこそ、救われる人がいる。
生きたい人も死にたい人も幸せにするために、安楽死を認めてほしい。


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