いのちの電話より、安楽死の電話を

僕は死にたいけれど、いのちの電話にかけようとは思わない。なぜなら僕は、生きたくないから。

僕が望むのは、治療法のない病気の苦しみを無くしてくれること。相談でどうにかなるものではない。そして相談すれば”絶対”に苦しみが無くなること。そういう保障もない。

だから「安楽死の電話」がほしい。

相談して、今の社会で出来うる限りの方法を教えてもらい、それに満足できなければ、安楽死という選択肢もある、という形になれば、相談してみようと思える。
生きて苦しみを無くす方法があればそれでよし。
なければ、死んで楽になるのも良し。

重要なのは、相談してみようと思える希望があるかどうか
いのちの電話にはない。

過去、様々なところに相談したけれど、まともな解決策は一度も提示されなかった。そしてどうにもならない人は、放置されてしまうんです。自殺する人の多くが、理由が分からず自殺するケースが多いようですが、相談してもどうにもならないのだから、当然と言えば当然。

今の自殺報道も、”自殺を止めよう”という意欲は感じられるけれど、相談してもどうにもならず、放置されている人のことは何も考えていないように思える。僕は絶望的な気分です。

前述したように、安楽死制度があれば、相談しようと思える人は増えるだろうし、自殺ではなく安楽死を選択すれば、いきなり自殺する人を減らせると思います。

自殺「させない」のではなく、自殺「しなくていい」環境を作ることが、本当の自殺対策です。今の社会は、死ぬための選択肢が自殺しかないので、誰にも悩みを言えないんです。

本当に死にたい人、苦しむ人のことを考えるのであれば、安楽死を認め、自殺以外の方法を提供するのが社会の責任だと思います。

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