【死にたい=本当は生きたい】という迷信が、死にたい人を追い込んでいると気付いてほしい。

「死にたい」と言っても、みんな死ぬのを止めようとしてくる。でもそれで僕は助かるの?救われるの?
助からないし救われない。
余計苦しい思いをさせられている。

死にたい理由があるから、人は自殺しようとする。だから、死にたい理由を無くしてくれないのなら、死なせてほしい。

いじめやパワハラとかなら、相談でどうにかなるかもしれない。
でも、治療法のない病気は、どうにもならないよね?
だったら楽に死なせて。

「死にたい」とつぶやくと、「本当に死にたい人は何も言わない」とか言われる。だったら、本当に死にたい人はなんて言ったら理解されるの?「本当に死にたい人は何も言わない」のなら、言わない理由は何故だろう。言えない環境を作ってはいないか?「本当に死にたい人は何も言わない」という風潮こそ、まさしく言えない環境を作っているんです。

海外では安楽死する人、日本でもスイスに渡航し安楽死しに行く人、医者に130万円払ってまで安楽死する難病患者がいるんです。評論家の西部邁さんは、知り合いに頼んで自裁死した。

死にたい人がいるのに、死にたい人と真面目に向き合わない社会が、死にたい人を苦しめているんです。もし、自由に安楽死できる社会なら、死にたい人はそこに相談するし、死にたい人の苦しみを受け止めてくれる場所も作れる。

【本当に死にたい】人がいることを無視しないでほしい。

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