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【オペラ】『カルメン』序曲は太鼓の達人スコアで再生できるのが一般人並感だと思ってる【新国】

 先日、新国立劇場にてオペラ『カルメン』を観て参りました。もうね、序曲とか有名すぎて太鼓の達人のスコアで脳内再生できるレベル。太鼓の達人と言っても「ふつう」レベルですが、冒頭からメロディが変わって「ドン・ドン・カッ・カッ、カッ・ドン・ドン」になるところとか、太鼓の達人のアプリで遊んだことのある人ならわりと誰でも脳内再生できるはず。

 改めて全幕観てみると、スペイン感満載でありながらロマ(ジプシー)だったりするのでフランス語上演なのが印象的な『カルメン』。「C'est toi.(あなたなのね)」「C'est mois.(俺だ)」とか、仏語初学者でもフランス語やなこれってなるくらいにフランス語です。映画『ボヘミアン・ラプソディ』でも『カルメン』の曲が流れてテンション爆上げだったのは言うまでもありません。
 今回の『カルメン』、主演はジンジャー・コスタ=ジャクソンなのだが、これがまた可愛らしい。チャーミングなのである。どうチャーミングなのかはもう観てくれとしか言いようがないのだが、決して気が強いだけの女性ではないカルメンが観れたところがよかったように思う。新国のバレエ団の人が踊るシーンもあって面白い。完全に逆恨みのストーカー殺人事件でしかないオチはともかく、全体的に華やかではあるわけです。
 そんな今期の『カルメン』はまだやってるぞー(^o^)/ということで、万が一にも気になる方がいらっしゃれば新国へGO。真面目に『カルメン』諸々知りたい方は下へGO。素人さん向けの何かなんで、玄人の方はスルーしてくださいましね。

・オペラと原作小説の相違点
 まずは具体的な相違点を考察してみたいのだが、小説とオペラで大きく異なるところとしては、やはり、物語のはじまり方だろう。小説での主人公、主たる視点を持つのは「未解決のまま残された諸疑問を解くべく、かなり長い調査旅行を試みた」地理学者だ[1]。地理学者が旅行を回想するようなかたちで、ドン・ホセとの出会いについて語っている。また、オペラに採用されているドン・ホセのエピソードも、地理学者が聞いたものであり、実際にその場にいたなどということはない。
 そして、オペラにはない、カルメンを刺し殺したあとに話が続くのも小説の特徴と言えよう。ここでは「ボヘミアン、ヒタノス、ジプシー、チゴイネルなどの名で知られ、ヨーロッパ全体に散在している御承知の放浪民族」[2]について述べており、カルメンを刺したあとのドン・ホセとは少し離れた内容となっている。
 そう考えると、オペラとなっているのはおおよそ小説の第3章の部分である。その冒頭では、ドン・ホセが伍長になる前の経歴も述べられており、オペラの設定の前提が記述されていると考えてよいだろう。しかし、この部分も現在進行形ではなく、小説での主人公である地理学者に聞かせる、過去の話だということに注意が必要だ。
 そこで、小説の第3章とオペラの相違を考えていきたい。
 有名なことであるが、ミカエラはオペラのオリジナルキャラクターで、オペラには出てこない。ただ、オペラのなかで「青いスカートにおさげ髪」の美しい娘と表現されるミカエラの設定は[3]、小説で言及された、ドン・ホセの理想の女性である「青いスカートをつけて、あんだ髪を肩まで垂らしている娘」を参考にしているのは間違いないだろう[4]。
 またとても細かいことなのだが、印象的で重要なシーンなので言及したいものとして、カルメンの登場シーンがある。そもそも小説は地理学者がドン・ホセから聞いた話であるから、ドン・ホセの視点からカルメンがどういう存在であるのかが語られているのだが、「私の故郷なら、こんな風体の女を見れば、みんなきもをつぶして十字を切るところです」としながら[5]、カルメンが自分に話しかけてきたときのことを回想する。そこでは、以下のように述べられている[6]。

──ちょいと、兄さん、私の金庫のかぎをさげとくんだから、その鎖をくださいな。女はアンダルシヤ風にこう言いました。
──いや、火坑針をさげて置かなきゃならんから。こう私は答えました。
──おや、針ですって! おやまあ! レースの編み物でもするの? 男のくせに針が入用だなんて! 女は笑いながらこう叫びました。
(……)
──それから口にくわえていたアカシヤの花を手に移したと思うと、おやゆびではじいて、ちょうど私の眉間へ投げつけたのです。

 一方、オペラにおいては、カルメンの登場シーンでドン・ホセが説明するのではなく、本人の名刺代わりとしてかの有名なアリア「ハバネラ」がある。その後、「運命のテーマ」を背景に「見たことない顔ね」とドン・ホセに話しかけ名前を聞く[7]。「鎖を作っているのさ」と言うドン・ホセに「心をつなぐ鎖」と呟いて、カルメンは花を投げつける。
 さらに、じつは、小説のドン・ホセは、カルメン以外にも人を殺している。「アラヴァ生まれの若者」と[8]、カルメンの夫であったガルシアだ[9]──「私が最初に口にした言葉は、お前はやもめになったという文句でした」[10]。このガルシアとのエピソードは、小説ではそれなりにページが割かれているが、オペラでは登場しないどころか、カルメンは自由気ままな独身女として描かれているのではないだろうか。
 小説においては──あとから回想しているからか──カルメンを蔑むような記述も多く見られるが、オペラでは牢屋に「ふた月」いたことを、「君のためならいつまででも」、「俺は君を愛しているよ」などと言ったり[11]、一心に愛するように語られているのも興味深い。

・なぜ相違点が生まれるのか
 小説とオペラの大きな違いは、まず、その形式にある。小説は言葉を紡ぐものであるから、文章として成立するのであればいかようにでも書き連ねることができるが、オペラは歌劇であり、音楽に乗せて物語を披露するため様々な制約が存在する。例えば、『カルメン』原作において伝聞調で物語が進んでいくように、オペラにおいて1人の人物が伝聞を歌い続けるということは考え難い。むしろ、その伝え聞いた内容を再現するかたちで物語が展開するのが自然だろう。
 ワーグナーなどは作品としての芸術性を重視したため、ひとつの場面を感受性豊かに表現し重厚な仕上がりとなるが、そうした系統とは別に存在するオペラは、アリアなどの見せ場をつくりつつもスムーズかつリズミカルに物語が展開することが多いのではないだろうか。
 さらに、小説は文字情報しかないのに対し、オペラでは、装置や衣装、キャラクターの振る舞いなどを通して視覚的に情報を提示することができる。つまるところ、小説に書いてあることを「文字通り」歌にしなくとも伝わることがあるのである。
 そして、オペラに限ったことではないかもしれないが、そのような舞台で上演されるような作品で複雑な人間関係や複雑なストーリーを表現することはとても難しい。小説であればわからなくなったときに戻って読み返すこともできるが、オペラはそのまま最後まで上演し続けるしかない。しかるに、演じる側からしても、観客側からしても、ある程度単純でわかりやすいストーリーであることを望まれるのは間違いないだろう。
 最後に重要な点なのだが、次章でも言及する通り、カルメンのような女性を中心に置くような物語は、当時としてはスキャンダルなものであった。しかるに、劇場からの風当たりも強く、小説のままの過激さではオペラにし得なかったという背景がある。

・人気の理由
 何といっても『カルメン』は名曲の宝庫である。特に「前奏曲」、「ハバネラ」、「闘牛士の歌」は、ふだんクラシック音楽に親しみのない人でも聴いたことがあるのではないだろうか。人気オペラに、名アリアは欠かせない。もちろん、有名だから素晴らしいというわけではないが、多くの人に聴かれる理由のある曲だということは言えるだろう。そのような意味において、結局のところ、オペラは音楽の芸術なのである。どれだけストーリーがわかりやすく共感でき、超絶技巧を魅せるアリアがあったとしても、音楽としての美しさがなければ不朽の名作となることはない。
 また、今でこそ当然のように受け止められている『カルメン』であるが、当時の感覚からすると、かなりスキャンダラスで、インパクトのある作品であったことに注目したい。ジプシー女というのは、今日でいうところの難民のような存在で、それが主役になるようなオペラは考えられなかったのである。それ故、賛否両論生まれるのだが、その斬新さが物語の豊かさを生んでいるのだろう。
 他の名作もそういう部分があるかもしれないが、『カルメン』においては登場人物それぞれに独特なキャラクター設定があり、それがとても人間臭さを醸し出している。気が強く自立した女性であるカルメン、どこまでも純情なドン・ホセ、花形闘牛士として華やかな雰囲気のエスカミーリョ。フィクションながらある種の現実味があり、共感を呼ぶ鮮やかさがある。
 そしてなにより、純情な男が気まぐれな女に翻弄されるという主題は、時代を問わず理解されるものなのではないだろうか。今日的な表現で端的にいうのであれば、『カルメン』はストーカー殺人の話だと思うのだが、そういう納得感が得られること、すなわち、人間社会のある種の真理を描いているところが名作を名作たらしめているのだろう。

※原作はメリメ作、杉捷夫訳『カルメン』岩波文庫の第94刷(2016年)を、オペラはカルロス・クライバー指揮、フランコ・ゼッフィレッリ演出、エレーナ・オブラスツォワ(カルメン)およびプラシド・ドミンゴ(ドン・ホセ)主演の1978年12月9日ウィーン国立歌劇場での公演を参考とした。
[1]メリメ『カルメン』、岩波文庫、11頁。
[2]同上、116頁。
[3]カルロス・クライバー指揮『Carmen』より。
[4]前掲書、『カルメン』、48頁。
[5]同上、49頁。
[6]同上、49~50頁。
[7]カルロス・クライバー指揮『Carmen』より。
[8]前掲書、『カルメン』、47頁。
[9]同上、95頁。
[10]同上、97頁。
[11]前掲、カルロス・クライバー指揮『Carmen』より。

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