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【N響】フランスみが深い...って思ったけどそのフランスみがなにかと言われると上手く説明できない【なぜか昨今のテレビ談議】

 今週末っていうか明日NHK交響楽団の定期公演があるのにぜんぜん前回のこと書いてなかったぜ。ということで、前回のプログラムは、ルーセル「バレエ組曲 バッカスとアリアーヌ 2番」、サン・サーンス「チェロ協奏曲 第1番 イ短調 作品33」、ベルリオーズ「ローマの謝肉祭 作品9」序曲、レスピーギ「交響詩 ローマの松」でした。
 フランスみが深いな〜と思いながら聴いてたけど、当時のフランスのエリート作曲家たちが留学したのがローマで、そうしてフランスの音楽家を迎え入れることによってレスピーギのような作曲家が生み出されたってのは興味深かった。たしかにフランスの作曲家がローマで学ぶだけでなく、ローマにいる音楽家や作曲家もフランス的なものの影響を受けるよなぁと。相互的なところにロマンがありますよね!ローマだけに(全力でスベりにいった顔

 はい。前回はステファヌ・ドゥネーヴ指揮で、ゴーティエ・カプソンがチェロソリストだったんですが、アンコールのサン・サーンス組曲「動物の謝肉祭」から第13曲「白鳥」もとてもよかったです。バレエ『白鳥の湖』の「瀕死の白鳥」としても有名なあの曲。ぜったいみんな聴いたことあるあの曲。下にYouTubeの動画も置いておくのでご興味があればご覧くだせぇ。

 たまーにこうやってアンコールのピアノ伴奏が指揮者だったりするんですが、すごいっすよねぇ。元の技量が違うと言われればそれまでだけど、普段やってない系のことって緊張しません?(緊張しいな顔)。ピアノを弾くってこと自体は日常的にやってたとしても、人前で弾くのって話が違うじゃないですかァ!
 とまあ素人丸出しなコメントはともかくとして、バラエティ番組での扱いとか見る限り指揮者というのは一般の方にはいろいろ誤解されがちな仕事なのかなと感じているのですけれども、指揮者たるもの楽譜が読めて解釈もできて当たり前くらいな存在なので、ピアノくらいは当然弾けるし、なにかしらの楽器がプロレベルで演奏できてやってる人もいるという、ちょっと常人には理解できないような超絶優秀な方々だったりします。というかそもそも楽器にしろ声楽にしろクラシックでプロになれるってすんげぇことなんだけれども。アスリート並みにストイックな世界ですからねぇ。

 ところで完全に余談ですが、主にバラエティ番組などでクラシックを馬鹿にする風潮とか、きちんと訓練を積まれたプロに対してクソみたいな「イジり」をするのとかわりとまじで失礼すぎるし見ていて腹が立つので本当にやめてほしいと思ってる派です。ジャンル問わず「テレビ的」なものの外部にいる人たちに「テレビ的」な反応や対応を求めるのは違うと思うし、そういうノリでやりたいならゲストとか呼ばずに身内だけでやってりゃあいいじゃんって話で。演者の責任なのか放送作家の責任なのか制作会社の責任なのかテレビ局の責任なのか何なのかは存じ上げませんけれども、ただただ失礼な悪ふざけができなくなりつつあることをテレビがつまらなくなったとか言うのは本当に意味がわからない。少なくともクラシック音楽についてよく知らないとか聴いてて眠くなるとかは構わないけど、だからといって直接見下していい理由にはならんだろ、と思うわけであります。

 余談ついでですが、テレビの自由さ、反権威のほうにいけば面白く見られるのになぁと思ってはいます(トランプさん不在のあれめっちゃ攻めててすげぇっす)。立場の強い人間が立場の弱い人を攻撃するのを面白く見る感性に欠けているというだけで(当事者が合意してたり「おいしい」と思っていたとしても正直見たくない....心が弱いのか?)、大御所芸人的な方が「イジ」られたりする分には個人的には平気(※あくまで個人の感想です)。コンプライアンスにはいろんな考えがあるとは思いますが、今のあり方を全部否定する人ってじつはそんなに多くなくて、構造の問題だと思います。医学部の点数云々もありましたが、ああいうことが平然と行われている社会状況で女性を見下すような言説が(ブラック・ユーモアだとしても)「ウケる」わけないし、様々な点で立場の弱い人の苦労も可視化されるようになってきた今こそ反権威のほうが面白いんじゃね?と(※あくまで個人の感想です)。
 まあいいんです。日本生まれ日本育ちなのに「日本人らしく」育てなかったからこんなこと言ってるだけなんで....。ほんとこないだもアメリカ人と帰国子女と話してて思ったんすけど、なんで俺こんな子に育っちゃったのかなぁ。日本はまじで「日本的」な思考様式を身に付けてないと生きづらいからえぐみが深い(無条件に海外is良いって言いたいわけでもないけど、ほんといろいろ....)。個人的には、マジョリティのマジョリティによるマジョリティのための国、だったのが近年だんだんそのマジョリティから転落する人が多すぎて機能しなくなってきている、みたいな印象。じゃぱん。もとより内包されてない人たちはそれなりにいたはずなんだけど、そうしたことと社会全体が真摯に向き合えてきたのか謎的な。

 なんかぜんぜんN響の話じゃなくなってもうた。でもこの、クラシック音楽やバレエへの扱い、やってる人のなかではわりと共有されている話題だと思うというか、めっちゃピアノ上手いサークルの先輩とも延々愚痴る会をやったことがあったりします(自分がピアノ弱者なのでツェルニー40番終わるくらいまでいってる人は尊敬of尊敬)。

  そして雑学的なあれですが、バレエの人が一番言うのはたぶん「バレー」は球技ってやつ。YouTubeとかでバレエサムネイルな動画タイトルに「バレー」ってあると、あーあと思いつつも、コメントで誰か指摘してるだろうなと思ってむしろその指摘コメントを見に行く遊びが成立するくらいには広く浸透しているイラっとポイント。みんな慣れてるから日常生活でいちいち指摘したり怒ったりはしないと思うけど、内心、うーん、とは思いますね。漢字間違えて別の意味になってる、みたいな感覚に近い(?)かも?(一瞬、漢字ネタ使えると日本人っぽい!って思ったけどそんなんナショナリティ関係なく日本語できる人みんなわかるわ、と自己完結した顔

 そんな話のお口直しに、ルーセル「バレエ組曲 バッカスとアリアーヌ」。

 レスピーギ「交響詩 ローマの松」もあります。いやYouTubeで探せばもっといっぱいあるんだけれども。いちおう公式っぽいやつだけしか載せないことにしているのでこれでご勘弁を。

 今日は出かける予定あるのに、乗るべき電車の時間を過ぎた今になっても着替えてすらいないというポンコツ具合笑。なにかに集中すると諸々バグるタイプだから遅刻を恐る気持ちはとうの昔に捨て去ったものの、いい加減にしろよ自分とは思いますねさすがに。はー、がんばろ。

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