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文章を書く、ということ

夏休みの宿題といえば読書感想文である。これは今も昔も変わらない。今も、と言いきれるのは、息子が持ち帰ってくる大量の夏休みの宿題の封筒の中に、読書感想文用の原稿用紙が入っていたのを見ているからだ。彼にとって生まれて初めての感想文は小学三年生の夏で、原稿用紙は三枚だった。今年小学四年生になる彼に与えられたのは四枚。どうやら学年ごとにノルマが上がるようだ。

多くの小学生のご多分にもれず、といってしまって良いかわからないが、息子は読書感想文を書くのが苦手だ。夏休みの後半まで手つかずのままだったが、さすがに最後の週になって慌ててやり始めたので、どんなもんだと思って読ませてもらったところ、本のあらすじをそのまま書き写していた。読書感想文が苦手な子にありがちな風景だ。しかも細かく書き写していったせいで三枚目後半になっても物語の前半までしか進んでいない。これはさすがにサポートが必要だと思い、最後に自分なりの感想を書いてみたらどうかなとアドバイスをして、なんとか着地させることができた。とにもかくにも原稿用紙で四枚分の文章を自力で書き上げたのは良い経験にはなったことだろう。生まれてから10年しか経っていないことを考えれば上出来である。よく考えてみれば、本格的に文字というものを習ってからはまだ三年程度しか経っていない。もし同じことを英語でやれと言われたら、と考えればその大変さがイメージできる。

とはいえ、中には感想文を書くことになんの抵抗を感じない子もいる。というか、自分がそうだった。どんなことを書いたのか今ではまったく思い出すこともできないが、読書感想文で苦労したという記憶はない。誰に教わるということもなく、好き勝手に書いていたのだと思う。それでも大人たちから褒められたり、あるいは校内コンクールのようなものに選ばれていたりしたので、きっとそれなりの体裁のものになっていたのだろう。

というようなことを妻にいうと、私もそうだったよ、と言って次のような話をしてくれた。
「文書の最初から会話文でスタートすると、ちょっと格好いい感じのスタイルになるのよね。でも、いつまでも続けてる逆に子どもっぽい感じがしてきて、高学年になるにつれてそういうテクニックは捨てて、内容重視に変えていったの」
そうやって、彼女は数多くの作文コンクールで入賞を果たしたとのことである。

ひとには向き不向きというものがあって、ある子は文章を書くことが生まれつき得意であっても、別の子にとっては苦手であるということは良くある。努力や訓練で多少の差は埋めることはできるかもしれないが、生まれ持った性質に勝るものはない。これは厳然たる事実だ。得意でない、あるいは少なくとも、やっていて苦痛であるというのであれば、もっと楽しい、やっていてワクワクするような自分なりの得意分野を探したほうが良い。これが、私なりに見つけ出した人生をうまく生きるコツである。私はこれをよく、「自分の持ち場を見つける」ということばで表現する。

この考え方に納得する人もいるだろうが、反論する人も多くいるだろう。いやむしろ、努力や訓練を(一見)否定しているような言い方に、得も言われぬ不快感を感じる人のほうが多いかもしれない。それでも私は、生まれたときに与えられた体に詰め込まれたある種のキャパシティ(私はこれを、研究者らしく「遺伝子」としてかなりリアルに想像している)を、どのように見出し、そして活かしていくという生き方に興味関心が湧く。このイメージは、何を考えるにしても通奏低音のように私の人生に鳴り響き続けている。

さてここで少し古い話をする。2000年代の初め、インターネットが単なるブームからいよいよ本格的に日常生活に入り始めた頃のことだ。それまでインターネットといえば情報を入手するだけの存在だったのが、いわゆるブログサービスの登場により誰でも簡単に情報の発信者となれるようになったのだ。芸能人が自らの手でファンとコミュニケーションを始めるようになったのも、ちょうどこの頃だった。ブログの更新を熱心にする女性タレントが「ブログの女王」などと呼ばれていた時代のことである。

自分も、誰に頼まれるわけでもなく日記のようなものを書いてはブログの更新を熱心におこなっていた。なんとなくファンのような人も現れて、更新するたびにコメント欄に感想など書いてくれていたものだ。ただ、自分とっては書くということの動機がいまいちはっきりせず、いつのまにか更新も途絶えるようになった。

それでも、人生の転機になるようなことが起こるたび、新たなブログサービスを見つけてはそのとき起こったことを文章に残すようにしていた。このnoteにまとめてある「ポスドク転職日記」も、研究者としてのキャリアをドロップアウトした際に書き留めたブログを転載したものだ。こうやって振り返ってみると、つかず離れず、人生のいろんなフェーズでブログを書き続けてきたのも、きっとそこが私の持ち場だったからなのだと今では思う。

そんなブログとのつきあいに、ちょっとした転機が訪れることになった。自分が書いた文章でお金を稼ぐ、そんなことが現実となったのだ。

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