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アラフィフの転職活動のリアル⑩


現在の職場のひとつ前の職場には1年7か月勤務した。
最初の年末調整の業務の際の自分の不甲斐なさに、あともう1回はこの職場で年末調整の業務をしよう、と決めていたので、なんとか2回目の年末調整をやりきった。

1回目に比べればずいぶんまともな仕事となったと思う。本来はじめからまともでなければいけないのだが、ほぼ誰も教えてもくれないのだから仕方がない。ただし、今思えばやはり自分の能力の無さがずいぶん関係していたようにも思う。自覚のない他力本願。人手の少ない職場で中途でそれも50歳間近で働くということは、ある程度世の中のことを、社会の仕組みを知っていることが前提で、やったことのない仕事でも、誰にも教えてもらえなくても、だったらその状況でどうしたら良いか、どう対処するのかについて最善の方法を考える力を求められているのだろうと今では思う。
私にはその力が圧倒的に足りていなかった。だから注意されることも多かったのだ。それに気づかず歳だけはとって、反論こそしないしできなかったがたぶん生意気な気配は出ていたはずで、今思えば恥ずかしい。

だけどそのときの私は、自分はこれだけ努力しているのにと思っていたので、感情のアップダウンの激しい性格の上司(ほぼ同年代のベテラン女性)に日々叱責されることにどんどん疲弊していた。
悔しい。なんで毎日毎日ぎゃあぎゃあ言われなきゃいかんねん。

上司がそんな感じなので、同僚の方たちとは先輩も含め仲良くさせてもらった。団結、という感じ。でも私は根拠のないプライドが高くて、少しずつその上司の自分への叱責だけでなく、他の同僚への叱責にも耐えられなくなっていった。なんでこの人にここまで言われなければならないのだろう、この人はどんな自信があって人にここまで言うのだろう、と。そして少しずつ、毎日そんなことばかり考える自分にも嫌気が差してきていた。

パートで働いていた職場の社員さんで、私より10ほど年下なのだけどとても賢くて魅力的な女性が言った言葉がある。「私は、尊敬する人の下でなければ働かない」。
私はその言葉を聞いたときに、なるほど、と思い、心のどこかに留めていたのだけれど、今回その言葉を自分のことに置き換えて考えてみた。

30代で出産、子育て、40代でパート勤め、子どもたちも義務教育が終了し、自分のこれからの人生を考えたときに、億劫ではあったけれど一念発起して始めた転職活動。
なんとかなるんじゃないー?という甘い考えではたちうちできず、全ての条件を納得できないまでも採用してもらってありがたいと思って入った今の職場。そんな状況の甘い自分にとっては責任を持つことを改めて認識させてもらえ、良いこともたくさんあった。でも、定年まで働くとしてあと10年以上ある。定年までではなくとも、子どもたちが大学を卒業するまではフルタイムで働かねば。
長くはないが短くもないその時間、たぶんいろんな事情があってこの上司から他の人に変わることはないだろう。それでもいいか?この上司が能力が高い方だというのはわかるが、どうしても彼女の表現の仕方が自分とは合わない。

うん、やっぱり、自分が尊敬できる人のもとで働こう。

そう思って、もう一度一念発起することにした。




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