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世界知図5 森本あんり先生『反知性主義』 〜意味の変化と反知性主義〜

人生を消費しよう。こんにちは。もん です。

今回は、森本あんり先生の『反知性主義 アメリカが産んだ「熱病」の正体』という本を読んで思ったことをお伝えします。

「反知性主義」とは、現在使われている意味と「本来の」意味とが少しばかり異なるようです。

つまり、「反知性主義」の議論を行なっている際に、そもそも「反知性主義」という言葉の意味さえ共有できていない、ということが起こり得ます。

しかし、言葉の意味は変わるものです。では、どっちを使っていくべきなのでしょう?

反知性主義とは?

反知性主義といわれれば、データや客観的事実、学問的知見などの「知性」に反発する姿勢のことと思いがちですが、『反知性主義』によれば、

ひとたびそれらの機関(引用者注:大学や研究所)やその構成員が政治権力にお墨付きを与える存在とみなされるようになったり、専門以外の領域でも権威として振る舞うようになったりすると、強い反感を呼び起こす。つまり反知性主義は、知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である。
(森本 2015, p.262)

とあります。つまり、反知性主義とは、知性そのものではなく、それが剣士を帯びること(知性主義)に反対しているのです。

キリスト教の歴史を踏まえれば、反知性主義とは、「権威」となったプロテスタント牧師に対する、独自の聖書解釈などでしょうか。

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目の前にあるデータや事実などから目を逸らし、「権威」とされる人々の発言ではなく、自らの心の信じることに従う姿勢。これが反知性主義だと言えそうです。

用法が変わった?

 今広く流通している「反知性主義」という言葉と、本来の「反知性主義」という言葉は、結構意味が違いますよね。

現在:データや客観的事実などの知性を嫌う
本来:知性が権力と結びついていること(知性主義)を嫌う

反知性主義じゃなくたって、用法が変わった言葉なんてものはたくさんあります。

ありがとうが際たる例です。
ありがとうの元の言葉である「ありがたし」は、「有り難し」の文字通り、「滅多にない」といったことを意味します。

しかし、今や「ありがとう」を「滅多にない」の意味で使う人間は皆無でしょう。

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どちらの用法を使うべき?

ありがとうは明らかに「感謝」用法を使うべきでしょうが、「反知性主義」はどうでしょう?

本来の用法に従うべきとも思いますが、言葉にはどうしてもそうではない側面があると思います。はてさて……

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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