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shallow sleep (as a child)

日曜日の午後、みじかいねむりの中で、確かに15年前に他界した父方のおばあちゃんに会いました。とてもおどろいたし、目が覚めて、がっかりもしました。どんな中学校や高校や大学に通っていたか、部活はどんなだったか、お気に入りの作家や、すきな人のこと、おもしろかった映画のこと、仕事のこと、もっとたくさん話をしたかったのに。

でも、ゆめの世界で故人と会うという時間は、きっとものすごく短く限られたものでなくてはならない気もします。そうでなければ、現世との区切りがうまくつけられなくなってしまうかもしれないからね。

おばあちゃんは生きているあいだ、すぐ隣の家に住んでいて、わたしは赤ちゃんのころからほとんど毎日、おばあちゃんに遊んでもらっていました。おばあちゃんは5人姉妹の長女で、ほかの4人の大伯母さまたちもわりあい近くに住んでいましたから、小学校にあがるまでのわずかな数年は、暇をもてあました彼女たちに連れられて、月に一度くらいのペースでおしゃれをして都心へお出かけをしていました。わたしはこのお出かけが大好きで、というのも、家でのくらしはいたってふつうでしたが、この5人のゴッドマザーにかかれば、それはそれは豪華でゆかいな一日が過ごせたのです(いま考えれば、おとくなシニアパスなんかを駆使していたのでしょう)。

電車で都心に向かっては、ホテルのアフタヌーン・ティーや絵本の美術館や、劇団四季のミュージカル、クリスマスツリーの点灯式なんかに連れていってもらいました。幼稚園の遠足なんかよりずっとすてきで、出かける前日は子どもながらにうきうきとポシェットに飴やハンカチを詰めて、身じたくにいそしんでいたことをおぼえています。なんといってもその集まりにおいては、わたしはいつだって幼き女王として扱われていましたから、むろんのことたのしいわけです。3段重ねのアイスクリームや、金の刺繍で装飾された童話集や、小さな宝石のついたクリスマスブローチなんかをあたりまえみたいにして買ってもらえたことは、思い返すとずいぶんとぜいたくな子ども時代でした。

長女だったおばあちゃんが亡くなってからは、大伯母さまたちもわたしと遊びにやってきてくれることはなくなって、4人いたはずの大伯母さまはひとり、またふたりと旅立ってゆき、いまではこちらに残った人々と何年かに一度、法要で顔を合わせるくらいです。あのたのしいすてきなお出かけの時間は、ふりかえってみれば、ほんの1、2年のあいだに起きたできごとにすぎません。幼き女王だったあのころの時間は、おぼろげなゆめや、曖昧な魔法のようでした。それでもあの自由で、強くて、おしゃべりとおしゃれが大好きなゴッド(グランド)マザーたちとの思い出をわすれないように、今でも大事にとってある、金の刺繍で装飾された童話集や、小さな宝石のついたクリスマスブローチをときどき眺めたりするのです。


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