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少女のままで

ともだちの結婚式に行った。はじまる前は、当日のじぶんの服や髪型が変じゃないかということばかりを気にしていて、結婚式そのものにはそこまで興味はなかったのに(わたしはほんとうに失礼なやつ)、いざはじまってみれば、花嫁入場のあの、まっしろなドレスを着たともだちの、すうとした顔や、記憶のそれよりいくらか痩せたからだつきなどをながめたら、ふしぎなことにすこし涙ぐんでしまった。ともだちの結婚式で、よく、泣いた!とかいう人の気持ちがぜんぜんわからなかったし、葬式じゃあるまいし、ともだちが結婚したくらいでなぜ泣くの?と思っていたというのに、まったくおかしいことだ。こんなに大勢のまえで、選んだその人との人生のこれからを、みんな見ててよねって高らかに宣言する、その儀式のいさぎよさを思う。まだあどけない少女のままで、いてほしいような気にもなった。

ひさしぶりに会う人も多くいた。二次会には参加しなかったので、とりたてて何か話をしたわけではないけれど、でも、すこしずつでも、人は変わってゆくものですねと思う。じぶんだけが、いつまでも精神をどこかに置いてきたままでいる。他人から見たら、わたしも十分変わったのかもしれないけれど。ともあれ、そういうふうに、ひとの門出を祝う場に立ちあうことは、わるくはないものだった。まなざすこと、まなざされることのすべてを、どんな人にたいしてであれ、やさしくあれたらと思っているけれど、きっとそれは贖罪にも似ている。

11月のやわらかい陽ざしのなかで屈託なくわらう新郎新婦の、しあわせと思える日々がすこしでも永く続くとよいね。と、わたしにしてはえらく素直な感想を抱いて、ひとりの帰り道をあるく。とっておきの耳飾りをつけているから、きょうは気分がいい。

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