ビートルズの映画 ミスタームーライトを観て

おれはこの映画を見て音楽の危険性を知ってしまったのかもしれない。作中の中で1966年あたりの日本、いや世界はビートルズに惚れていた。ビートルズの曲を聴いて発狂するやつもいれば犯罪に手を染めてもビートルズに近づきたいやつもいた。恐らく、ビートルズに憧れて音楽を始めたやつもいるだろう。または、ビートルズ自体になりたくてどうしようもない気持ちを一本のギターにぶつけたやつもいただろう。俺はその時代に生まれてみたかった。ビートルズのせいで人生が狂わされたやつの横でおれも狂っていたかった。今おれが生きているのは2023年、ビートルズのような熱狂的、爆発的、原爆的なアーティストはいない。ただ、確実に彼らの影響を受けた人らが作ったであろう曲をイヤフォンから流して、自分の人生と共に生きている。おれの好きなMr.Children、銀杏boyz、斉藤和義らもビートルズの影響をもろにくらい、音楽をやっている。
いわば、ビートルズはおれのおじいちゃんだ。お父さんたちはおじいちゃんの影響を受け、その教えをこうしておれらに伝えている。
おれは、こんなに熱く語っているが言ってしまえばただの音楽だ。楽器から出た音に合わせて声を出しているだけだ。しかし、されど音楽。その単純なことに人は魅了されときには人生を変えてしまう。
よく、音楽は麻薬だと言われる。おれはその言葉が好きだ。嫌なことがあれば音楽(麻薬)を使用し、現実から逃避行する。こんなに、安く簡単に手に入る麻薬はない。だから、全人類が手を出している。
思えば、生まれた頃から音楽は身近にあった。テレビ、ラジオ、さまざまなところから音楽は流れてくる、その音楽全てにビートルズの意志がのっかているとするのなら彼らは事実上の神様だ。
元日に手を合わせ、教会で手を合わせ。これらの行動すべて、ビートルズに願っているのかもしれない。そう考えるとさらにおもしろくなってくる。
今回の映画でおれは音楽の危険性、いやビートルズの危険性を知ってしまった。しかし、それと同時に学んだこともある。それは、どれだけ良質なピストルでも打つ人がいなければ何もできないということだ。。ここで言う打つ人とは、ファンであり、ビートルズを売り出した人たちである。人は一人では何も生み出せないのかと、思うと少し悲しくもある。
ただ、現代の我々にできることは音楽を利用し自分の妄想する未来を現実にすることだ。そして、彼らから受け継いだ、遺伝子をさらに下のものに繋いでいくことだ。映画を見終わった後、小学校高学年くらいのメガネの少年がいた。あの少年が明日にでも、ギターを握り、ビートルズの危険さ、凄さ、音楽の未来性を世界に発信して欲しい。
メガネの少年よ、俺はいつの日がお前が武道館でライブをする日を待っている。そのときはおれに、警備員をやらしてくれ。