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私は時間に余裕を持って行動することが苦手です。

こんにちは、うるまです。

前回記事では、”大人”という存在に対して不信感や嫌悪感を抱いていた高校時代の話をしています。↓↓↓


さて本日は、”計画性”のお話をさせていただきます。

何を隠そう、私は計画性がありません。何かを計画立てて進めることが苦手で、その場で臨機応変に対応する方が動きやすいタイプです。


どちらも一長一短あるかと思いますが、この”計画性”が最も求められる場面をみなさんはご存知でしょうか?


それは、”朝の時間”です。


これは高校生の時も、社会人になった今も変わらないです。不変の真理かと思います。

眠い目を擦りながら、朝ごはんを食べてエネルギーを蓄える。さらに学校に行く準備をしながら、時間との戦いを繰り広げなければならない。実は”朝の時間”ってかなりハードスケジュールなのです。


だからこそ朝の時間は、”計画性”がなければバタバタしてしまいますよね。私は残念ながら計画性を持ちあわせていなかったので、「時間に余裕を持って学校に行く」という夢のような話とは無縁でした。


毎日1分1秒を争う、時間との勝負を繰り広げていました。



なぜ私には”計画性”なこれほどまでにないのか?少し考えてみました。


まず思い浮かんだのは、「基本的に楽観的で”何とかなる”と思っているから」。これです。

極論、学校/会社に遅れても、命までは取られないし何とかなる、と思っているのだと思います。



その他にも、私は「結果主義」であるということも影響しているのかもしれません。私は結果さえ出ていれば、正直過程はどうでもいいと思っています。


すなわち、「学校/会社に間に合う」という結果さえ出せているのであれば、「計画的に朝の時間を過ごせたか?」という過程の部分には重要性を感じていない、ということです。


だからこそ、私は朝の時間を計画的には過ごせていませんが、ポイントは常に把握しているつもりです。具体的には「◯時◯◯分にはこれをする」「最終◯時◯◯分には家を出る」「◯◯分に出たら歩けるけど、××分に出たら走らないと間に合わない」というようにリミットを常に意識しています。


朝の過ごし方は綺麗ではありませんが、基本的には遅刻しませんし、時間通りに登校していました。(いつもギリギリでしたが...)



この結果主義は、「自分の行動によって得られた結果に満足/納得しやすい」「勉強や練習しただけで満足しない」というメリットを得られたのは、個人的に良かったなと思っています。


ただし、現代の日本は”結果”よりも”過程(プロセス)”を重視する風潮が強いと思っています。同調圧力が弊害となり、みんなが納得できる手段/プロセスによって得られた結果に対して、価値を見出しているように感じます。結果が良くも悪くも、過程(プロセス)が重視されます。



「結果を一直線に追い求める諸外国」と「過程を気にしながらも結果を追い求める日本」


どちらがこれから発展していくかは一目瞭然ではないでしょうか。やはり、私は勝ち負けの世界で結果を追いかけていきたい。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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