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就職や転職の面接における茶番 ポジティブとネガティブ、本音と建て前

就職や転職の活動で、応募書類や面接で自分をアピールするということが求められる。自分の経験についても、たとえ失敗談であってもそれをポジティブに置き換えてアピールすることを要求される。長所や短所においても、特に短所については、短所を長所に置き換えることでアピールにつながるとよく聞く。しかし、このようなことは就職や転職の活動に特有の特殊な考え方だ。そもそも、特に日本人は本音と建て前を使い分ける文化圏に住んでいる。また、欧米人のように自分を売り込むというようなことはどちらかと言えば苦手である。私たち日本人は自分自身のことをそれほどよくできる人間であるとみていない。どちらかと言えば、自分自身に自信がもてず、他者に比べてそれほど良くできる人間であるという認識はあまりもてていない。私たちは謙遜の文化で自己卑下的に自身をみている。

そのような自己観を有している私たちが、いざ就職や転職となるととたんにその自己観を180度変えなければならない。これまで、自身を謙遜し、自己を卑下してきた人間が今度は自分を売りこまなければならない状況に身をおくことになる。このようなことは非常に滑稽だ。就職や転職の活動がむしろ茶番のように見えなくもない。

私たちは他者に対して常にありのままを見せているのではなく、自分にとって望ましい印象を与えるように意図的に振舞っている。しかしながら、実社会では、その程度についてはそれほどでもないと思う。実際には、自分をよく見せようとはしながらも、ほどほどの匙加減で他者に良い印象となるように振舞っているのはないだろうか。対人関係においては、自分の良い面をアピールするというよりも、自分はそれほどでもないという自己呈示がなされることが多いではと思う。

試験にしてもスポーツにしても、友人やライバルとの会話で自分はそれほどの準備ができていないことや、それによっておそらく結果も芳しくないことが予想されるというように、これまでの経過や予想される結果について自身にとって望ましい結果にならないと呈示することが多々ある。これをセルフ・ハンディキャッピングというが、特にこれは日本人に多いと思われる。物事の結果が自分にとって望ましくない結果になったとしても、このような方略をとることによって自尊心が保たれることが予想される。

私たちは常日頃から、他者に対してはネガティブさを呈示している。そうすることによって他者との人間関係が良好に保たれるという処世術を知らず知らずのうちに身に付けてきた。そうすることによって、円満な人間関係の環境が保たれることを学習してきたと言えるかもしれない。すなわち、私たちは自分自身についてはポジティブにとらえながら、他者に対してはどちらかと言えばネガティブな側面を前面に出し、良好な関係性を保とうとする、ある意味アンビバレントな両極の側面を有し、それを瞬時に使い分けているのだろうと推察する。そういう意味では、これはすごいことだ。このような使い分けはやはり日本人に特有の資質であり、やはり本音と建て前文化の象徴のように見えなくもない。

実際に、社会心理学の分野で「ポジティブ・イリュージョン」という概念がある。ポジティブ幻想とも言われるこの概念は、私たちが自分自身について、どちらかといえばポジティブであると捉えているということ。そのような幻想をもともと備えている。他者と比較して自分はどちらかといえば能力が高いなど、表には出さなくとも、自分を良い存在であるとみなしている。そうすることによって、自尊心が保たれると考えられる。

面接の場で、自分を謙遜し自己卑下していたら採用されない。しかし私たちはそのような文化圏で生まれ育ってきた。就職や転職での面接の場でそのようなことを知ったうえで、面接の場面では自分の気持ちを切り替えてうまく立ち回れる人は採用に結びつきやすいだろう。反面、不器用な人は選考からもれてしまう。なんていうか本来見せなければならないこと、本来見なければならないことを双方が見ようとしない現実の問題がある。いやむしろ、真の問題は、そのような人間の心理的特性や、社会文化における心理傾向の違いや社会環境からのさまざまな規範や要請が、私たちの判断や意思決定、印象形成に多大な影響を及ぼしていることに気が付かない点である。いわば、表面上の表層的な側面のみを見て、他者を判断していることが滑稽である。それが人間らしさ、日本人らしさと言われればそれまでだが、そのような認識をもたないのが人間であるということに、だれも気づけないこの社会が実は一番滑稽であるのかもしれない。

このような面接の茶番をいつまで続ければいいのだろう・・・。

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