恵まれコンプレックスとアイデンティティ探索の旅
家庭の経済状況のような環境にせよ、あるいは白人であることのような身体的特徴にせよ、自分が生まれた時点で既に決まっていることというものは良いこと悪いこと含め様々ある。なかでも、恵まれる方向の事項として、たとえばアメリカで白人が不可避的に抱えるとされるwhite privilege(特権)や、その裏返しとしてのある種の原罪とも呼ばれてしまうような構造というのはさまざま取り上げられてきた。
しかし一方で、それら「恵まれ特権」らしきものでありながら、実際には存在すらしていないかもしれないものというのもさまざまある。白人であるというだけで誰かを無条件の特権的地位にあると見做すことは、かなり極端なことをいえば、さまざまな努力をした結果としてモテる誰かに対し、「顔がかっこいいからモテる」と決めつけることなんかにも近い。そこにも(外からは)特権(に見えるが実際にはどうかわからない)構造がある。
僕の場合、この構造に当てはまるのは家庭環境だった。特に20代後半頃、自分の恵まれた環境に対して逆コンプレックスに感じることが多々あった。たとえば、音楽のかけがえのない仲間達とのエピソードを大学で話せば、僕はまるでとんでもない荒くれ者しかいないファンタジーの世界からただ一人飛び出してきた田舎者かのような扱いを受ける。友人がいつ何のトラブルに巻き込まれて音信不通になるかわからない環境というのは普通の社会にはあまりないし、前科持ちの人間たちがゴロゴロいるような場所もあまりない。
一方で、大学院のかけがえのない仲間達のなかで当たり前だった前提が、実は単なる恵まれた環境によって提供されていたものに過ぎなかったりもする。たとえば、僕がパソコンをはじめとしたIT関連にそれなりに通じていることも、音楽理論を学んでこられたのも、たとえ僕自身が多大なる努力を積み上げたという事実があったとしてもなお、共に両親がそれに通じており、幼い頃から触れる機会が数多くあったからに過ぎない。
大学院まで行けば、たとえそこが経済学研究科だろうが、プログラミングのできる人間もバイオリンが弾ける人間もゴロゴロいる。そういう意味で、結果的に大学院というところは(そして僕のいたあそこは特にだが)極めて異様な場所だった。そこでの常識が外界と異なるなんていうのは当たり前の話であり、それは十分に認識しているつもりだった。だが、実際にはそんな程度の話ではなかったし、実はそれはかなり前から薄々わかっているはずのことでもあった。
環境というものが及ぼす影響の大きさについて考えていくと、ここで先にも述べたような、「自分の実力で掴み取ったと信じていた実績すらも所詮は決まったレールの先の結果にすぎない」という絶望に直面する。もちろん統計学的に考えれば(つまり同じくらいの家庭環境の人のなかで比べれば)僕が積み重ねた努力が現在に繋がるだけの効果や意味合いを見出すことはできるかもしれない。
しかし、ここでの真の問題は、そもそも努力する環境すら与えられなかった人間との比較である。それこそ音楽周りの友人では、生まれた時から両親ともにいないとか、高校に行く余裕なんてなかったとか、そういう仲間たちと日々を過ごす生活の中で、僕がいくら自分の人生に対する努力を主張したところで根本的に意味を成さない。なぜなら、その努力すらも環境の中に内包された機会でしかないから。
たとえばそれらの公平性をなんとか担保することを目的とした公的/私的な制度なんていうのも当然あるにはあるが、そういった情報に触れることすらできない環境に身を置く仲間たちもいた。だから、僕は当時まるで原罪への償いかのごとく、彼らのサポートに自分のかなりの時間を割いていた。
そしてこれは、恵まれコンプレックスとして見事に発芽し育った。大体のものは頼めば買ってもらえて、学校の勉強にも何の苦労もない。僕のアイデンティティの一つでもあるわけのわからないほどの興味の広さは、それに呼応して学ぶ環境が与えられなければ維持されないものなのだ。そういう環境や持って生まれたものによってここまで来たのだとしたら、そういう存在がヒップホップという世界(それは単なる音楽カテゴリではなく、あるいはよくいわれるカルチャーという程度のものでも実はなく、感覚的にはイデオロギーか宗教に近い)に存在することは許容されるだろうか?海外、特にアメリカで過ごしためちゃくちゃな生活は、自身のアイデンティティをこの目標とするイデオロギーのあるべき人間像まで随分と近づけてくれた。
だが、そうやってゲトーライフを演じていたところで、やはりアイデンティティが満たされることは決してなく、そして最終的に僕の”弱者”的な要素は病となった。心臓に穴が空き、血を吐き、高熱を出しながらモノを考え、音楽を作る。これが僕にとってのあらかじめ決められた弱さとしてアイデンティティに刻み込まれることになった。残念ながらこれは決して望んだ結果ではない。ある種のマッチョイズムであるヒップホップと病弱さは根本的に相性が悪く、たとえば海外の道端でフィンガードラムをやっていて、目の前のたぶんウエストが僕の倍ぐらいある黒人プレイヤーと比べて明らかに俺の方が演奏がうまくても「オカマみたいな指だな。お前にヒップホップは無理」と罵倒されて終わったりする。そういうもんだ。
だが付しておくとすれば、あらゆる「弱者」的な要素がヒップホップ的アイデンティティとなるとき、誰一人としてそれを本来的に望んでなどいない。なぜなら、このイデオロギーはそもそも弱さ抜きには決して確立されなかったものだから。その、望まれない弱さを強さに転嫁するためにヒップホップがある。同様に、「アジア人がヒップホップなんてw」と言われて凹むようなら根本的にヒップホップには向いていない。
今までこういった恵まれコンプレックスについては数年来自分の中で溜め込まれていたものの、ちょっとした身の回りの出来事でついに吐き出すことになった。