炎上のメカニズム 〜実はかつて、大炎上を経験しました〜 前編
今から7、8年ほど前だろうか。割と大きな(自分ではそう感じた)ネット炎上の当事者になったことがある。めちゃくちゃ大変で精神にも随分きたけど、振り返れば学びも多かったし、貴重な知見になってると思ってる。だいぶ時間も経ったので、せっかくなのでその経験を共有してみたいと思う。
2012年ごろ、知り合いの経営者と一緒に、東南アジアでクールジャパン系の仕事を手がけていたころのこと。日本のサブカルチャーなどのコンテンツを、主にインドネシアやマレーシアに展開する事業だ(それがその後、教育コンテンツを扱うNGO事業に発展していくのだがそれはまたの機会に)。
自分も業界のことを良く知るために、当時のサブカルチャーシーンを引っ張っていたあるクリエイティブ系のコミュニティに入ってみた。凝り性なので、自分も3DCG(3次元コンピュータグラフィックス)の動画を作ったりして、匿名アカウントで投稿してた。自分でも入り込んでみることは、その業界のことを深く知ることができてメリットがとても大きい。プロ・アマチュア問わず、クリエイターの知り合いもたくさん増えた。
当時、コミュニティの交流はやはりツイッターがメインだった。ただ今とは違い、まだツイッターが趣味の領域でしか使われていなかった時代。全体的に、もっとユルい雰囲気が漂っていた。自分は2009年から今の実名アカウント(@Jn_Matsumoto)を持っているが、この時、匿名で別アカウントをメインで運用してた。かなりフォロワー数も増えていた。
本業で、有力な若手クリエイターを仲間に入れたいということから、当時、徐々にクリエイターチーム(仮に 'チームX' とする)みたいなものを組成していった。そのとき自分は、優秀な若手クリエイターに声をかけ、勉強会、共同制作プロジェクトなどを企画するプロデューサー的な役割を担う(この頃の経験は、その後の様々なコミュニティ運営にもとても活きている)。
ビジネスを知らない、もしくは興味がないクリエイターの人々はクリエイティブにはこだわりがあるもののビジネスやお金に対しては基本的にとてもナイーブで、こういったプロデューサー的な役割はとても必要とされていた。自分も未経験の領域であったし、かなり楽しいと感じながら新しい企画をどんどん作っていった。
チームXは徐々に頭角をあらわし、コミュニティでもかなり目立つ存在になっていた。後で思えば、この時、すでに炎上する素地は用意されていたといえるだろう。自分としてもかなり目立つような活動を意識的にやっていたし、古参クリエイターからすれば、「なんだあいつら、面白くないな」ということになる。
自分自身、まだコミュニティ運営に慣れていないこともあり、そういうやっかみを抑える処方もしてなかった。むしろ、やっかみを煽れば煽るほど、自分たちの活動がより目立つのではという目論見さえ持っていた。まるで20代のミュージシャンのような、青すぎるマインドである。炎上フラグは、見えないうちにどんどん立っていたのだろう。
そして、一人のメンバーがやらかした。彼は正確にいうとクリエイターではなく、クリエイターになりたいと思っていた大企業の会社員。自分でも勉強をしながら、チームXの事務局補助的な役割を担っていた。ミーハーで、利益意識が強く、うまく活かせば面白い人材だと思っていたけど、その時はそのスタイルが完全に裏目に出た...
続く
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