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「人の悪口」は、最終的にはぜんぶ自分に帰ってきてしまう

 普段は、人の悪口なんてできるだけ言うまいと思って生きている。そういう人は多いはず。しかし話相手とすごく気が合ったり、ちょっとアルコールが入ってしまったりすると、話を盛り上げたいという気持ちも手伝ってつい人の悪口をもらしてしまうことがある。そんな経験もあるだろう。

 そして相手がその悪口に共感を示したりすると、「お、これは盛り上がる方向なんだ」と感じて、つい調子にのって話をエスカレートさせてしまう。悪口で盛り上がると、会話相手とは共感も深まるし、なんだかこちら側が「正しい」方にいると思えて、なんとなくの優越感を感じることもできる。人が、どうしても悪口に走ってしまう理由はこんなところにあるのだろう。

 だけど悪口で盛り上がったとき、たとえその瞬間だけは刹那的な「悪い」よろこびを感じられたとしても、後に待ってるのはマイナスの要素しかない。おおよそなにか悪口を言ってしまった後に、その結果として良いことが起こるということはない。あるのは、「ああ... 調子に乗らなければ良かった」という後悔の念だけだ。そして、その悪口が本人に届かないことを祈るということになってしまう。

 

 しかしながら、悪口を言うことの本当のマイナス要素は、当人に話が伝わってしまって何らかのトラブルが起きるとか、当人に恨まれるなどということではない。「本人に伝わらなかったからセーフ」ではないのだ。

 本当に怖いのは、悪口を共有した相手に、自分のネガティブな印象を強く与えてしまうこと。そして、不条理だが、たとえ話相手が「一緒に盛り上がって悪口を喜んでいるように」見えていたとしても、相手から自分への評価はマイナスへ傾いてしまうということだ。本当に不条理だが、実際にそうなのだ。悪口で一緒に盛り上がったから、その結果自分への評価がプラスになる、なんてことは基本的にない。

 得られるのは、「ああ、この人もあの人のことが嫌いなんだ。自分と一緒だ」というある種の「ダークサイドな共感」だけ。多くの場合、「人間性への評価」自体は下がってしまう

 

 「この人は、他人の悪口を言う人だ」と認識されてしまうことは本当に損だ。それは、寛容さがない、自己中心的、そういう非常にネガティブな評価につながる。さらにそう認識されると、「自分がいないところでは、自分の悪口も言われるかもしれない」と思われるようになってしまう。

 繰り返すが、話をした相手がその悪口に対して否定的だったとか、一緒に喜んで盛り上がったとか、どういう反応を示したかはあまり関係ない。どちらにせよ、悪口を言った自分への評価はその時点でマイナスになっている。無意識のうちにということも含めて。

 これは、本当に怖いこと。「キミ、一緒に盛り上がってたやん!」とか言いたくなるが、人間、そんなものだ。

 だから、会話の中で、一緒に悪口が盛り上がったときこそ怖い。調子に乗らない方がいいというのはそういうことだ。この文章、自分への自戒という意味を込め、そういう機会があったときにまた思い出したいと思う。


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