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教習所の指導員の仕事に戻る決意表明のお話


日記帳捨ててどうもこうも書くところがなかったので、こちらに書きます。今回は復職に対する決意表明を書いていきたいと思います。

退職に至る心境ー経緯

教習所って指導員同士の人間関係もしんどいし、今までは教習生と年齢が近いからドSのお姉さんみたいな雰囲気で教習できてきたけど、年齢が上がるにつれて、自分の指導方法が頭打ちになってきた感じがしていました。そんな最中に流れに乗って、寿退社してしまいました。

「もう指導員いいかな。転勤も多いし、パートでそのへんのスーパーとかでレジ打ちとかしちゃおうかな」みたいに思いながら、この2年専業主婦してきました。

とは言いつつ、何かを成し遂げたい自分、頑張りたくない自分がせめぎ合いながら、昼から放送されている刑事ドラマ(大抵は科捜研の女、相棒などなど)を眺める日々が続きました。(2年も!)

時折何かしたい自分がnoteを更新したり、資格試験の本を買ってきて読んでみたり、求人誌を眺めたりする自分がいたのですが、どれもパッと来ず…でした。

たまたま、今夜、シャワーを浴びていると頭の中で「そうだ教習所に戻ろう」と思い立ちました。いつ戻るのか。まだ先です。今後、どう考えても旦那が今後単身赴任する未来が待ち構えています。その時に戻れるように着々と準備をしようと思います。

次は指導員になりたいのか

この転勤生活で出会った大阪では出会わない標識、道路状況、いろんなものに出会えたので、まずはこのことを教習生に発信できる指導員になりたい。

今まで大阪だけで教習していた時は、教習生から学科の教本を見せられて「こんな標識見ないですよね。路面電車も堺の方ならあるけど、このへんじゃないですよね」と言われた時に私自身現実味がない話だったので「そうだよね」と同調し、指導員の私が思考停止していました。

地元で走る予定の子がほとんどだったので、地元で走る時に困らないように困らないように…というところに目線が入ってしまい、地元で走る分には不要そうなところについては私もあまり深く考えていませんでした。

旦那と出会って、広島(まだ住んでないけど結婚前ちょっと行った)横須賀、東京…いろんなところに行くとあらびっくり。自分が今まで目を瞑ってきたもの達がめちゃくちゃ出てきて、自分自身がめちゃくちゃ困ったんです。教習生が地元を出てしまったらパニックになるよな…と今さらながら反省しています。

なので、もう一度指導員になる時には自分自身が場数を踏んで、色々失敗して、いろんな地域の交通の情報を織り交えて教習生に発信できる指導員になりたいと思っています。

戻るまでの期間にやること

①場数を踏む
②ネタになりそうなものにアンテナを張る
③心理学、発達障害についての勉強をする

自分でいろんな経験をして失敗して、とにかく場数を踏んでいきたい。あとは、自分の経験をまとめて、教習するときにたくさんの話の引き出しを作りたい。また、ネタを見つけたら写真撮ったり文章にまとめたり、働いてはいなくても、アンテナを張り巡らせていたいと考えています。

指導員をしていた頃にある心残りがあります。いつも指名をしてくれる女の子がいたのですが、全然喋らないんだけど指名してくれる感じでした。つい最近あることがきっかけで場面緘黙という言葉を知りました。ある状況下に置かれると話ができなくなるというもの。ようやく、あの子がそれだったのか!と理解しました。と同時に「もっとこういう教え方ができたんじゃないか」と後悔が出てきました。相手の特性を知っているだけでも、教え方って全然変わってくると思うので、その辺りを勉強したいと思います。

他に今の現状から仕事に繋げられること

官舎でいろんな人に出会う中で、感情が激しくなることが多くありました。原因はこれまでの人生で接する人を厳選しすぎて、怒る前に切り捨てていたものが、切り捨てられない状況になって勝手に怒ってる…みたいな感じでした。

教習に当てはめてみると、教習生も選り好みしていたと思います。私は完璧主義なので完璧に教えようとしていました。教習指導員の教科書に書いてる理想を丸々教習生にそのままぶん投げていました。

型にはまる子(完璧主義の意識高い子、体育会系の子、ドMの子)だとはまるのですが、逆にやる気ない系が私は苦手で、そんな子の場合、めちゃくちゃ空回りしていました。私の教え方だと意識高くない子は辛かったと思います。

官舎でも完璧主義が裏目に出てしまい、役員の期間中、いろんな人から「そんなに意気込まなくていいよ!潰れちゃうよ」と心配されまくりでした。最近は少し受け流し方(妥協点)を見つけ、すごく楽になりました。

次は個人の特性に合わせて、妥協点(この子の場合はこれが出来たら次に進もうみたいなもの)を見つけ、より多くの教習生に向き合えるようになりたいです。

理想は理想だけど現実問題、何かが原因で理想の到達が不可能な人は多いですから。

官舎では自分が出会ったことのない価値観の人間に良くも悪くも遭遇しました。私のほうがあまり多様性を受け入れられていなかったように思います。

多様性を理解し、個人個人の特性を受け入れる姿勢を今の生活の中で間接的に学んでいけたらいいなと思っています。他人を全員型にはめることは無理ですから。

ブランクはあるし、技術は足りないかもしれないけど、指導員に戻る頃には、別の面でパワーアップして指導員の仕事に戻りたい。そう考えています。応援のほどよろしくお願いします。

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