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一年の終わりに 2023

このタイトルで書くのも3回目。
不定期に、気が向いたときに書いてきたnote。振り返ってみたら本当にたまに投稿しただけだった。

修論ですっかり言語脳が働いているので、11月にこれを書き、放置している。
卒論の時と同様、修論も早々と書き上げてしまって気が向いたら手直しをしようという算段。だからと言って、細かい部分を変えてはレイアウトを直すなどという気力もなく、論文のために空けておいた暇を持て余している。

というわけで、とりあえず書いてみます。
むやみやたらに書いているだけなので構成もなにもありませんが(笑)



修士2年という学年。藝大での生活が6年目となり、今後のことも考えなければならない。なんとなくゼミもゆったりした雰囲気なので、シリアスに考えることはあまりなかった。周りの方々から博士に行かないのかと何度か聞かれたが、科の環境がまた変わったら、あるいは自分の気が向いたら舞い戻るのもありかもしれない。

今年も私の生活の中心は演奏だった。いろんな楽器の伴奏をし、声楽とも合わせ、高校からの繋がりでいくつかの合唱団に出入りをする。毎月バーでソロを弾き、3回目となるリサイタルをさせていただいた。出演したフライヤーを眺めていると、今年は大きめの本番がたくさんあって、コンディションをなんとか整えてきた自分が懐かしい。

藝大6年目といえど、大学での新たな出会いはたくさんある。5号館には学部を過ごした3階の楽理科、今うろついている2階のソルフェ科、同じ階の音楽文芸、4階に音楽教育がある。別に意識したわけではないが、5号館の人たちとは結構関わっていたかもしれない。
一番力を入れていたアンサンブルのレッスンでは器楽科の仲間に加え、音楽教育の友人たちにも手助けをいただいた。そんな出会いから本番を企画したり、さらに人脈が広がったり。今になって面白いことがこんなにあるとは思わなかった。修了を間近にしても初対面の人はいて、楽しく毎日を過ごしている。

ヨーロッパ旅

今年も一人旅をしてきた。長めの休みをいただいて、20日間の長い旅。
これだけでいくつかnoteが書けるのでよほど暇だったらやってみるつもり。
ドイツのフランクフルト、ライプツィヒ、ベルリン、ミュンヘン、イタリアのフィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、ミラノ、スイスのサンモリッツ、チューリヒ、さらにドイツに戻ってベルリン、マンハイム、そしてフランクフルト。書き出してみただけでもすごい移動の仕方だった。交通費+宿泊費=夜行列車 ということでうまいこと節約し、名所をめぐる。歌劇場、コンサートホール、教会、美術館。もちろん手頃なレストランやビアホールには入り浸り、昼から(なんなら朝から)飲んでいた。
夏休みはヨーロッパで観るオペラの予習につぎ込んだ。ポケットスコアを手に入れ、魔笛やフィガロを丸ごと通して弾くなどスコアリーディングの勉強になるし、リブレットをそこそこ頭に入れたのでドイツ語とイタリア語の勉強にもなる。7月から10月の海外モードはその後の糧にもなったし、貴重な経験になった。

ソルフェ科生活2年目

ソルフェ科という学科。
ふらふらと色々な組織をわたり歩く自分は常に傍観者なところがある。
ピアノをずっと弾いてきたがピアノ科に入ろうともせず、楽理科に入ったが音楽学者になるつもりはない。ソルフェージュ専門家を標榜する人に憧れることも全くなく、自分がやりたいと思ったことをやってきた。
ピアノ科に入らなかったのも、簡単にいえばひとえに "音楽的に秀でた" 音楽家になりたいという思いからだった。学部からの6年間、さまざまな科の素晴らしい先生方に出会えた自分は本当に恵まれている。

修士2年間は短いものと思っていたが、意外と長く感じた。特に2年目はそう。
レッスンのみならず沢山の本番に恵まれた。今まで以上に取り組んだ作品数が多く、直前のオファーもたくさん受けて、伴奏の本番を数えられないほど経験した。レッスンでは同じようなことをいまだに言われてしまうこともあるが、院に入った頃を考えればよほど成長したものと思う。
楽理科にいた頃は声楽の伴奏が95%で、器楽と音楽をすることは全然考えていなかった。それが大学院では逆転してしまったので、長い目で見ればバランスが取れているかもしれない。ざっくりだが声楽のことは体に染み付いてきたので、器楽に目を向ける潮時になったと思っている。

“musicien complet”

フランス語では “musicien complet” という表現がある。直訳すれば「完全な音楽家」だ。本当の意味をまだ分かってはいないが、ぼんやりとこの言葉に憧れをもっている。簡単に定義するなら「演奏、音楽理論、学術研究、教育など幅広い面で優秀な音楽家」というところだろうか。
私はあくまで演奏者であり、世の中の音楽にまつわる理論や思想、もちろんソルフェージュだって演奏ありきのものだと思っている。
ただただ学問や基礎的な技術を探求するのは見渡す限りの土地を農地に整えるだけのようなもので、そこに作物が栽培されていなければどうにもならない。

とんだ荒地にめちゃくちゃ高級な種をまくような風景も、音楽をやっていれば頻繁に見受けられる。よく耕された土地、適度な肥料、育て甲斐のある種、そしてなにより素晴らしい風土。吟味して揃えるのは大変だが、丁寧に自分の将来を見て選択していきたいと思っている。

最近、放ったらかしにしていた種を育てることにした。チェンバロという楽器。リコーダーの友人に誘われて数年ぶりに触ったが、通奏低音という深すぎる領域と相まって自分にはあまりにも魅力的である。学部3年の時に副科でフォルテピアノを取ったが、チェンバロはソルフェージュの先生の家で何度か教えてもらったくらいだった。
通奏低音を勉強するのもかなり大変だが、長い目で見てもらってゆっくり練習している。まずはバッハ。のちのちテレマンやヘンデルなどに取り組むつもり。チェンバロ専門家のソルフェ科の先生におすすめを教えていただき、久々に洋書というものを開いている。

練習&レッスン環境を整える

なんとついにグランドピアノを弾ける環境ができることになった(なんと今まで家にはアップライトしかなかった)。防音室とピアノができるので、練習はもちろん、対面レッスンもできそう。今までリモートでのレッスンをたくさんしてきたが、ついにステップアップすることができる運びとなった。
また詳細を宣伝などしてみようかな。


というわけで、来年からは身の周りの色々なことが変わってきそうです。ずっとお世話になっている方々も、これから出会う方々もどうぞご贔屓のほどよろしくお願いいたします!

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