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COVID-19に端を発した緊急事態をどう見るか~インテグラル理論の視点から~

こんにちはJMAM出版部です。

「コロナ禍」という言葉が、さまざまなところで聞かれています。少し前では考えられなかったようなことが当たり前のように起こる、まさにVUCAと言える日々を生きているといっても、何ら差し支えのないことでしょう。

この先の見えない時代をどのように進んでいけばいいのか――そのひとつのヒントとして「インテグラル理論」の観点をもとに考えてみたいと思います。

今回は、『入門 インテグラル理論』の著者、鈴木規夫さんからのエッセイをご紹介します。

1.発達段階の視点から”COVID-19”を考える

 今回のCOVID-19の蔓延を契機として惑星規模で発生した緊急事態は、今もなお、現在進行形で展開しているが、この状況に関して、インテグラル理論はどのようなことが言えるのだろうか……?

 もちろん、このイベントそのものが非常に多面的なものであるために、さまざまな角度から探求や分析をこころみることができるが、ここでは、インテグラル理論の重要な構成要素のひとつである「発達段階」(levels)の概念を参照しながら、少し考えてみたいと思う。

2.人が発達する、とはどいうことか

 この概念は主に発達心理学の成果を踏まえて提唱されているものであるが、その言わんとするところを簡略化して言えば、次の2つのポイントにまとめることができると思う。

・人間とは、世界の複雑性をよりありのままに認識することができるように一生を通じて発達することができる
・その発達のプロセスは段階的に進んでいく

 たとえば、われわれは、これまでの成長の過程において、自らの視点をとおして世界を眺めるだけでなく、他者と意見の交換や対話をして、それらの異なる視点を考慮することを通して、世界を多角的に眺めるための能力を育んできている。
 また、今日、社会人として活躍している方々の多くは、同じ言語や文化を共有する関係者とだけではなく、そうした条件を異にする同僚や顧客と対話を積み重ね、彼等の視点を通して世界を眺めたり、あるいは、(自身の視点も含めて)それら複数の視点を統合するための調整や交渉に日々とりくんだりしていることだろう。

 すなわち、そこでは、同じ対象(例:課題・問題・状況)を眺めていても、それを眺める主体の感性や価値観や立場に応じて、それは大きく異なるものとして認識される――という事実が認識されており、そのことを踏まえて、思考や行動がとりおこなわれているのである。
 換言すれば、それは「現実」(reality)というものが単純なものではなく、それを認識・体験する人の視点により異なるものとして立ち上がりえるものであることに対する謙虚さと慎重さに支えられたものなのである。

 インテグラル理論において「発達」という言葉が用いられる時には、基本的には、個人がこのような「現実のとらえがたさ」をどれくらい深く認識しているのかということについて言及しているのである。

3.「出来事の捉え方」の違いを生み出すものは?

 非常に興味深いことは、われわれが成長過程の中で徐々にこうした認識能力を深めていくと、ある段階において(注:一般的には「後-慣習的段階」と言われる段階で、インテグラル理論では「グリーン」や「ティール」と名づけられている)、われわれは同じ時代や社会に生きる人々を集合規模で呪縛している価値観や世界観を対象化して、それを批判的に検証できるようになると言われる。

 端的に言えば、今この時代を共に生きている人々の大多数が、まさにこの時代に生まれ生きてきたことそのものをとおして、無意識の内に内面化している「常識」や「真実」といわれるものを冷静に見つめて、それらが必ずしもそれほど絶対的なものではないことを明確に認識できるようになるのである。
 必然的に、こうした認識を得ると、自らの生きる「時代」や「社会」を大局的な視座に立脚して俯瞰することができるようになる。
 たとえば、これまでにも歴史的にくり返されてきたように、今、目の前に存在する平和や安定というものが、何らかのイベントを契機にして(例:紛争・天変地異・経済危機・政情不安)瞬く間に消えてしまい得るものであることを恒常的に認識するようになるのである。

 また、個人レベルでも、これまで自らの人生に意味や意義を与えてくれた希望や目標が、事故や病気を経験することになれば、完全にその説得力を失ってしまう実に脆いものであることに気づくようになるのである。そして、そうした洞察に触発され、自己の存在の深層に息づく真実や洞察にもとづいて人生を再設計しようとするようになるのである。

 心理学者のエイブラハム・マズローはこうした段階を「自己実現」がはじまる段階として説明したが、それはすなわち時代や社会にあたえられた価値観や世界観の呪縛から自由になり、ひとりの個として地上に立とうとするその姿を的確に捉えたものと言えるだろう。

3.COVID-19を「想定内」と捉えるか、「想定外」と捉えるか

 こうしたことを考慮すると、今回のCOVID-19に伴う緊急事態に対する認識の在り方が、ひとりひとり大きく異なるものとなるのは、ある意味では当然のことであるといえるかもしれない。

 すなわち、これまで享受していた日々の平安や安定というものがあくまでも束の間の「幻影」として認識していた人にとっては、こうした非日常の状態が突然に生起して、社会を大きな混乱状態に陥れることは、「想定内」のことに過ぎない。そうした人たちは、そうした状況を、自己をいっそう深化させ、また、人生をともにする周囲の関係者にいっそう貢献するための機会としてとらえることであろう。

 他方、これまで自らが享受していた日常を半ば永遠に続くものとみなし、その前提の上に人生設計をしていた人にとっては、こうした状況は正に混乱と混沌をもたらすものとして経験されることになるだろう。こうした状況はまさに「想定外」のことであり、その想定外の状況が突然現出したときには、往々にして、それをどう意味づけし、また、それにどう能動的に対処していいのかわからなくなるのである。

 これは、たとえば、東日本大震災において福島原子力発電所が未曽有の過酷事故を起こしたとき、電力関係者が口をそろえて「想定外」という言葉を連発して、国を存亡の危機に晒したときのことを思い起こしてみるといいだろう。
 目の前にある「安定」や「平安」が永続するという前提のもとに、将来に向けた対策や構想を練ることは、危険であるだけでなく、共同体の存亡に関わる重要な意思決定に関わる立場にある者においては、まさに一般の人々に対する背信行為にあたるとさえ言えるのである。

4.危機は、成熟・発達の「試金石」となる

 こうした状況は、われわれの社会において輩出される「リーダー」といわれる人たちの多くが、「想定外」に分類されるシナリオを現実に発生し得る現実として真に思い描くことができないという認知能力の構造的な限界に基因していると言える。すなわち、われわれの社会においてもっとも「優秀」と目される人材さえもが、発達論的にはそれほど高度の成長を遂げることができていないのである。

 述べるまでもなく、そこには今日の教育制度の限界が露呈していると言えるだろう。

 もちろん、実際の状況はより複雑である。
 たとえ一人の個人としてそうした高度な思考ができる人でも、そうした「想定外」を勘案した思考をし、発言をすることが、自らの立場や地位を脅かすことになるのであれば、あえて自己の能力を低く発揮することだろう。

 また、そうした高度な思考をすることにより、結果として(たとえば、安全対策費を膨張させてしまい)そこで議論されている施策の「経済的合理性」を破綻させてしまうことになるのであれば――そして、そのことが組織的な叱責や懲罰の対象となるのであれば――その人はあえて自己を視野狭窄させることになるだろう。
 こうした意味では、すべてを個人の「発達段階」(levels)という概念で説明するのは無理があると言える(実際、インテグラル理論の特徴のひとつは、そのようにひとつの要素にすべてを換言する発想を回避しようとするところにある)。

 われわれは同時に、環境がその個人にどのような影響を与えているのかに着目しなければならないのである。
 組織の文化や制度は個人の能力を引き上げることも、引き下げることもできるのである。

 ただ、今回のような緊急事態を前にしたときに、われわれがそれをどう捉え、また、そうした状況下において何を想い、何を為すかということについて見つめ直すうえで、「発達段階」(levels)という概念は大きなヒントをあたえくれるものであることは間違いないだろう。

 発達心理学者達が指摘するように、われわれの意識の行動は常に激しく上下動しており、状況に応じて、さまざまな段階の論理は発想にもとづいて思考・行動している。しかし、このような緊急事態は、ある意味では「試金石」としてわれわれの成熟の度合いを明らかにする契機となり得るとも言えるのだ。

 そうした意味では、今われわれの目の前に展開している非日常的な状況に対して、自身がどのように反応しているのかということを冷徹に眺めることは、われわれに自らに関する深い認識をもたらしてくれることになるだろう。

著者プロフィール

鈴木 規夫
インテグラル・ジャパン代表。
California Institute of Integral Studies(CIIS)で博士課程を修了(Humanities with a concentration in East-West Psychology)。
日本に帰国後アメリカの現代思想家ケン・ウィルバーのインテグラル思想の普及のための活動を展開している。
主な著書・訳書に『実践 インテグラル・ライフ』『インテグラル理論入門(I & II)』(以上、春秋社)『インテグラル・シンキング』(コスモス・ライブラリー)など。


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