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『入門 インテグラル理論~人・組織・社会の可能性を最大化するメタ・アプローチ~』 はじめに公開


 今、にわかにインテグラル理論が注目を集めています。

 欧米では、1995年に、アメリカの思想家ケン・ウィルバー(Ken Wilber)のSex, Ecology, Spirituality(日本では『進化の構造』[春秋社]として出版)が発表されて以降、この理論に対する関心が広がりましたが、日本においても、2013年のロバート・キーガン(Robert Kegan)の『なぜ
人と組織は変われないのか』
(英治出版、Immunity to Change)、および2018年のフレデリック・ラルー(Frederic Laloux)の『ティール組織』(英治出版、Reinventing Organizations)の邦訳出版を契機として、それらの理論と密接な関係にあるこのインテグラル理論に対する関心が高まりを見せています。


 キーガンはウィルバーの盟友であり、また、ラルーはウィルバーの理論の影響下で実践に取り組みましたが、人間と集団の進化の可能性に着目して探求に従事しているという点は共通しています。

 もちろん、この二人の他にも、インテグラル理論の影響を受けて活動をしている研究者・実践者は世界中に多数いますが、彼らの発想には共通点があります。

 ひとつめの共通点は、人間というものが、あたかもコンピューターのオペレイティング・システム(OS)が刷新されるように、単に新しい知識や経験を得るという次元を超えた、非常に深い成長を成し遂げる可能性を秘めているという視点です。

 そして、もうひとつの共通点は、そうした現象の本質を理解するためには、特定の専門領域の知見に依拠するだけでなく、多様な領域の知識や洞察を総合的に活用する必要があるという領域横断的な発想です。

 人間は、現時点においては想像できないような、高い次元の能力を獲得する可能性を秘めた存在である、そして、実に多様な要素や側面を包含する多面的な存在である──彼らは、こうした認識に基づき、さまざまな専門領域の知見を活用して、探求と実践に取り組んでいこうとするのです。

 そうした意味では、インテグラル理論とは、われわれが秘めている可能性を再認識させる希望の理論であり、また、人間の可能性を開花させるために多様な領域の専門性をどのように統合していけばいいのかを示す実践的な枠組みであると言えます。

 あらためて述べるまでもなく、21世紀において、われわれ人類は数多くの危機と直面しています。

 そして、それらの危機には、単に新たな問題解決のスキルを習得したり、新たな政治的な方針や施策が施行されたりすれば克服できるようなものだけではなく、むしろ、われわれが集合規模で進化しなければ対処できないようなものが少なからず含まれています。

 まさにロバート・キーガンが主張するように、「われわれが問題を解決するのではなく、問題がわれわれを解決する」ことが求められる状況が現出し
ているのです。


 もちろん、こうした危機は、地球規模のものだけではありません。われわれの日常生活の中にも生々しい具体的な事象として散見されるようになっています。

 日常生活において突きつけられる課題や問題に対処しようとする時、既存の解決方法に執着するのではなく、あらためて課題・問題の本質について思考をして──時には課題・問題そのものを再定義したり、課題・問題をとりまく深層的な構造や文脈を意識したりして──対応することが求められています。

 すなわち、半ば自動反応的に既存の解決策を採用することが、致命的な結果をもたらしかねない時代に、われわれは生きているのです。


 今日のインテグラル理論への関心の高まりには、こうした時代背景があることは間違いありません。

 われわれは、インテグラル理論が、この時代を生きていくために必要とされる叡智を提示してくれるものであることを直感的に認識しているのでしょう。

 ところで、「インテグラル」(integral)という言葉ですが、これは英語圏では日常語として用いられる言葉で、多くの場合、次の2つの意味で用いられます。
 ひとつは「統合的」「包括的」という意味、そして、もうひとつは「必要不可欠」という意味です。

 「多様な領域の知見を活用して思考する」と言われても、実際のところ、われわれはすでに膨大な量の情報に囲まれており、「もうこれ以上の情報を吸収することなど到底できない!!」と悲鳴をあげたい状態にまで追い込まれています。

 この状況下で、幅広い領域に視野を広げて、新たな情報に触れることを奨励する本書のメッセージは、少々付き合いきれないものに思えるかもしれません。

 しかし、ここで注目していただきたいのは、インテグラルのもうひとつの意味──必要不可欠なことに着目する──です。

 これは、やみくもに情報を収集するのではなく、真に必要不可欠な領域が何であるのかを認識して探究活動に取り組むことが重要となるという意味です。
 端的に言えば、「統合的・包括的に探求する時には、最低限これだけの領域について考慮している必要がある」という条件を示すことで、ひとつ間違えば延々と続いてしまいかねない探究活動を簡潔化することが可能となるのです。

 これはつまり、探究活動において「何を捨て、何にこだわるのか」を判断するためのガイドラインを提示することに他なりません。

 残念ながら、21世紀のわれわれには、特定の狭い領域・立場に自身の視点を固着させておくことは許されていません。しかし、一方でわれわれは世界に流通する膨大な情報をすべて収集し続けることもできません。

 われわれに求められるのは、統合的な思考をするための必要条件に留意をして、もっとも効果的・効率的に探求をする方法を習得することなのです。

 そうした意味では、インテグラル理論を学ぶことは、この時代において求められる統合的な思考法を体得していくための基礎を確立することにつながると言えるでしょう。

 言うまでもなく、統合的思考能力は、今世紀において、あらゆる領域の人々に求められ始めている重要能力のひとつですが、それそのものが現在進行形で進化しています。

 すなわち、「真の意味で統合的思考の名にふさわしい思考とはいかなるものであるのか?」という問いについて、今この瞬間に多様な領域の関係者が議論をくり広げているのです。
 その意味では、本書で紹介されるケン・ウィルバーのインテグラル理論は、あくまでもそのひとつの提案であり、今後の時代の変化の中で、批判され、また、洗練・発展されるべきものであると言えます。

 読者の方々には、本書で紹介される概念を参考にしながら、これからの時代において求められるであろう統合的思考について思いをめぐらせていただければと思います。

 なお、最後に、本書の成立までの過程について簡単に触れておきます。
本書は、2010年に出版された『インテグラル理論入門Ⅰ&Ⅱ』(春秋社)の中からインテグラル理論を理解するためにとりわけ重要と思われる話題をとりあげた章を選び、その内容に大幅な加筆・修正を加えたものです。
 執筆に際しては、2010年の執筆に携わった青木聡氏が抜けて、久保隆司・甲田烈・鈴木規夫の3人が、それぞれの専門性をふまえて担当章を選び、執筆作業に取り組みました(各執筆者の担当章は目次をご参照ください)。

 今回の改稿に際して、執筆陣がまず念頭に置いたのは、可能な限り平易な言葉でインテグラル理論の基礎を解説するということでした。そして、インテグラル理論の隣接領域の書籍がこのところ日本でも活発に翻訳・紹介されていることを鑑みて、それらの書籍の中で示されている理論や発想に適宜言及しながらインテグラル理論の解説を試みるということにも取り組みました。

 「各執筆者の専門と個性を活かしたい」という編集者の柏原里美さんの意向もあり、各執筆者の語り口は異なるものとなっていますが、これらの目標は概ね達成されているのではないかと思います。

 この10年の間、各執筆者は、それぞれの専門領域において探求と実践を積み重ねてきています。今回の改訂版には、そうした活動の成果の一端が随所で示されているのではないかと思います。

 また、この期間には、世界を俯瞰的に理解するための視座を望む声が世界的にも高まり、いわゆる「メタ理論」「メタ思想」と言われるものに対する受容性が社会的にも増しているように思われます。

 こうした時代的事情もあり、われわれ著者陣も日々の生活の中でこうした話題に関して対話をしたり、あるいは、ウィルバーとは異なる立場から発想されたメタ理論やメタ思想に触れて、大きな刺激を与えられたりする機会も増えています。

 今回の上梓にあたっては、これまでにわれわれに新たな知識や洞察をもたらしてくれた数多くの方々の貢献が反映されていることは言うまでもありません。この場を借りて、感謝を申し上げます。

著者代表 鈴木規夫


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