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僕らは人間だ

1 この時期になると聴きたくなる曲

この時期になるといつも、MVを見ながら聴きたくなる曲がある。
suzumokuの「僕らは人間だ」という曲。

2011年3月11日当時、suzumokuが、仙台公演への移動中に被災し公演は中止になるも、次の公演予定地だった富山に移動してすぐにチャリティーソングとして書き下ろし、近くのスタジオでレコーディングし、
4日後の3月15日にMVとして、著作権フリーでYOUTUBEにアップしたもの。

何度聴いても目に浮かぶ光景があり、
何度聴いても胸にこみ上げてくる感情がある。

「僕らは人間だ」作詞・作曲 : suzumoku (movie - by UGICHIN)

瓦礫をすくう傷だらけの両手 
虚空に漂うSOSの声

「何処にいる?」
「心配だ...」
「くたくただ...」
「もう嫌だ...」
微かな灯火が 胸の中で今 震えている

息を止めるな 繋ぐ手を離すな
その足で立つんだ 僕らは人間だ
朝の光だ 始まりの合図だ
取り戻してみせよう いつかの日常を

炊きたてを配るあかぎれの両手 
頬張る子供の無邪気な笑い声
「ありがとう!」
「美味しいよ!」
「平気だよ!」
「楽勝だ!」
あどけない勇者が 拳を振り上げて駆けてゆく

逃げ出したいけど 夢だと信じたいけど
その目を開けるんだ 僕らは人間だ
夜の暗闇に 底なしの不安に
星が寄り添うだろう 光を携えて

「待っていろ」
「諦めるな」
「大丈夫」
「気を付けて」
何気ない言葉を どれ程の命が待ってるだろう

朝の光だ 始まりの合図だ
取り戻してみせよう いつかの日常を
夜の暗闇に 底なしの不安に
星が寄り添うだろう 光を携えて
涙流れて 全て奪われて
ここから生きるんだ 
僕らは人間だ

この曲を、もう何度聴いたかわからない。
カラオケでも、場の空気を読まずに何度歌ったかわからない。

修習当時、盛岡でも、陸前高田でも、遠野でも、大船渡、釜石、大槌、山田、宮古でも、
2011年12月に東京で弁護士登録をして、
人間の営みが根こそぎ津波にさらわれた被災地を目の当たりにしていた日々が、急に、地面から雨後の筍のようにビルがニョキニョキョ生えている東京での日々に切り替わって、戸惑っていた時も、
その後の東京弁護士会法友会での被災地訪問で、気仙沼、南三陸、石巻、南相馬に訪れた時も。

2 あの日あの場所で、経験したこと、見聞きしたこと

(1) 誰かが誰かを想う

私はあの日、盛岡地方裁判所の刑事裁判官室であの大震災に遭遇した。
以降、私が経験したこと、見聞きしたこと。

地面がほぼ絶えず揺れ続ける中、修習生たちが散り散りになって、買い出しのために、街を歩く。
コンビニやスーパーには長蛇の列。空っぽの陳列棚。
電気がとまってしまった街で、日が暮れていき、雪が舞い、家々の駐車場に止まっている車だけが灯りがついていて、そこから人の声やラジオの音が漏れる。
夜通し、断続的に揺れ続ける。
夜が明けて、カレンダーは1日いちにち進んでも、激甚な被害状況の沿岸部に想いを馳せ、まるで喪に服しているかのような盛岡の街。
水も電気も止まっている中、盛岡大通商店街では、「あったかいおにぎりありますよー」、「髪、洗いますよー」と、通りに出て、自分たちなりにできることを笑顔で呼びかけ続ける事業者の方々。
1ヶ月以上、無料でラーメンを振る舞い続けた一風堂や、市役所の食堂でカレーを振る舞い続けてくれた自衛隊の皆さんや、
空っぽになってしまった陳列棚を、地元の生産者さんの食材で埋めようと奔走してくださった地元スーパー。
そんな状況だったからか、
商店街で赤ちゃんを抱く人とすれ違うだけで思わず涙ぐみ、あるいは、遠方の警察官の友人が、沿岸部の被災地に派遣されるのになぜか盛岡に住む私に「待ってろ!助けに行くから」とメールで伝えてくれた時も、何故だか涙が止まらなくなった。

(2) 「法」は無力か

あの当時、(少なくとも私の周囲にいた)法律家は皆、自分たちの無力さに打ちひしがれていた。
同時にまた、あまりに多くのものが失われてしまった状況を前にして、自分たちの役割を見つめ直し、献身的な活動を続けている法律家がいて、その延長上の様々な活動は今も続いている。

「法」では、人の命を直接的には救うことはできない。
誰かの体を温めることもお腹を満たすことも、それ自体をもってしてはもちろんできない。
だったら「法」は全くの無用の長物なのかというと、それは違う。
人間の平穏な生活や個人の尊厳は、人の手によって、あるいは自然の猛威によって、いとも簡単に損なわれてしまう。
今回のコロナがまさに、そうであったように。

人類の叡知は本来、それを見越して、場の空気や多数決で個人が蔑ろにされないように、「法」を作り、利害の調整や損害の回復を図ってきた。
つまり、「法」は、必要になる場面や時期が異なるだけで、衣食住と同様に人が生きていくために、あるいは、多数決の暴走や不公正、不公平を是正するために、必要なものだ。
そして、法律家はいわば、その「法」を使って「公」を整備し続ける調整者のような役割を担っている。
法律家の活動領域は、人の営みが存在する場所とイコールで、社会の広がりともイコールで。

そう考えるからこそ、その実践として、社会起業家支援の伴走に加え、
例えば、弁護士会の先生方も巻き込んで、気象業務法規則の改正に向けた取り組みを始めて、
昨年2021年6月、実際に改正まで至ったけれど、3年かかったし、災害関連の法制度だけを見ても、改善すべき点は、まだまだたくさんある。

3 今だからこそ、100万人のツイート、10万筆の署名だけでなく、1人による「請願権の行使」という選択肢を

被災地が舞台となっている「リバーエンド・カフェ」という漫画のレヴュー記事の中で、私はこう書いた。

生と死の境界があいまいになっている。
震災時に司法修習生として岩手にいて、半年後に東京に戻って弁護士となったあとも、2012年から定期的に津波被災地を訪問させていただく中でしばらくはそう感じた。
それは決して、生者と死者の垣根が低くなっているという意味ではなく、
なかなか言葉に表現しにくいのだけれど、生者の世界の色と死者の世界の色が混ざりあっているような、
今の「生」といつかの「死」をみんなで緩やかに共有しているような、そんな感覚に近かった。

(中略)

思えば、ジャズの歴史は、紛れもなく「人」が繋いだ歴史で、命の発露そのもののバトンの歴史だ。
たった一つの命が、たとえ突然終わってしまっても、誰かがその想いを受け継ぐ。
作中、ニューオリンズの街角で、津波で甚大な被害を受けたISHINOMAKIで育った入江サキが歌うベッシ ー・スミスの曲を聴き、
さらに彼女が震災当時7歳だったことを知った老人が、「そうか…そういうことか」と呟いたあと、隣に座る孫の質問にこう答える。
「この世界は この世界は...BLUESに満ちている。」
孤独の悲しみを歌ったBLUESが、 ベッシー・スミスの生きた証と入江サキの傷ついた心を繋いだなら、
私たちのこの世界は、その悲しみの代わりにいったい何で満たされていれば、過去の色と未来の色が、誰にも虐げられずに混じり合うのだろう。

2011年3月11日。
あの日、津波が襲った地域の子供たちが、その場所で何を思い、何を感じたか。
そして今、何を見つめ、どのような「言葉」を持ち得ているか。
そんな問いに、私を含め、果たしてこの国のどれだけの人が今も思いを巡らせているのだろう。
それを考えると、やはり少し不安になる。
けれど同時に、入江サキの「言葉」が、本人さえも気付かぬうちに、身のうちに育ち、歌となってこぼれ出たように、
この国の被災地を支えてきた”名を求めない命の繋がりの網”の中にこそ、”今はまだ名前のない希望”が育まれているはずだと、私は信じてやまない。

”名を求めない命の繋がりの網”の中にある小さな声は、子供たちの声だけではない。日本人の声だけでも、もちろんない。

私たちの世界に満ちる声を拾い上げる役割と繋げる役割を、法律家が担えるのではないか。
”今はまだ名前のない希望”を育み、形にし、次に繋げていくことができるのではないか。
まずはやれるところから、始めてみたい。

4 盲者の旅路

ちなみに、suzumokuは、残念ながら解離性障害の発症などもあり、2018年3月に引退してしまったけれど、PE’Zとの合体ユニットpe’zmokuもすごくカッコよかったなあ。

盲者の旅路とか、

思い立って今聴いてみると、いろんな意味で違ってきこえてくるし、
ピアノのヒイズミさんのお姿は相変わらず尊いし、
何より、歌詞がPetitionsにとってあまりに象徴的で、驚いた。
なので最後に、黙祷とともに、その一節を。

たどり着いた景色はどうだい?
それはあなたが描くものだろう
宝物は役に立つかい?
それはあなたが磨くものだろう
たどり着いた景色はそうさ 
それは誰にも見えるものなのさ
宝物は役に立つかい?
それは誰にでも使えるものなのさ

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