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【保存用ログ】ワークショップ第11回[20200615-0621]『はたらくにんげん』【テーマ型】

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■1

マッキー
■【今週のワークショップ】
それでは今週のワークショップを始めていきたいと思います。
今週のテーマは 『はたらくにんげん』 です!
「なぜ働かないといけないのか?」
「働くことの意味や目的って何なのか?」
この機会に頭を整理してみませんか?
企業の研修や学生向けの自己分析セミナー等のように、限られた時間で無理に
きれいな結論を出すのでなく、1週間たっぷり時間を使って”自分だけの答え”
の一端でもつかむことができれば、とても良いことではないかと思います。
私個人的に、学生や社会人の方の生の労働観やキャリア観を聞いてみたいと
いう好奇心が強くありまして、こうしたテーマ設定にさせて頂きました。

という事で、とりあえず前半戦
■(月)(火)(水)
Q1.自分にとってはたらくとはどういうことか?どういう価値を持っていたり、人生の中でどういう位置を占めるものか?
少しイメージがしづらければ、何か具体的な仕事や経験をベースに部分的なコメントで結構です。
※学生の方はどういうものであると想像しているか?あるいはどういうものであってほしいか?という観点で気軽にコメント頂ければと思います。
Q2.『好きなことを仕事にしよう!』に対する意見。
特に学生の方は自分自身現在どのようにとらえているかなどコメント頂けると嬉しいです。
Q1,Q2どちらか片方へのコメントでも結構です。

■2

A
大学1年生の現役バリバリ学生です。
正直なところを言うと、「どう働きたいか」「どんな労働をしたいか」それらを真正面から考えることから逃げ、「とりあえず勉強しとけば選択肢広がって楽だろな〜」というノリでここまで来てしまいました。
Q1について、労働の経験がない(個人的な家庭教師のみ)ので現時点での考えですが、もし私がお金に全く困らない理想的な状況におかれたら、私は労働を「しない」だろうと思っています。
なぜかと問われれば、「雑多な人間関係が自分にとって非常に煩わしいこと」「自分のやりたいように組織の中で振る舞うのは難しそうであること」などが理由としてあります。「やりがい」だとか「楽しさ」だとかは「あればラッキー」くらいのもので、労働は基本辛さを伴うものという漠然としたイメージがあります。
ということでQ2に対してもついでに答えると、選択肢があるなら好きなものを選べばいいと思いますが、そこにこだわる必要は「全くない」と思っています。

マッキー
非常に正直に素直なコメントを頂いたような気がします。ありがとうございます。
労働と人間関係は切っても切り離せない関係ではありますよね。確かに煩わしい。
でもその煩わしい人間関係があるからこそ、喜びを感じられるという世界が存在するのもまた事実ですよね。自分だけの世界を持っている人でも、どこかでは他人とそれを分かち合いたい、他人とかかわりあいたいという欲望を秘めているものです。
と言いつつ、僕自身は”人間関係最高!組織うぇい!”という陽キャな価値観はあまり好きじゃないんですけどね笑
ハンガリー人数学者にP・エルデシュという数学者がいました。彼は生涯1500本以上の論文を書き上げましたが、そのほとんどを他人との共同執筆という形で執筆したそうです。放浪の数学者と呼ばれ、他人の家にふらっと現れては、共同研究を持ち掛け、書き上げると去っていく、まさに放浪の数学者だったそうです。彼が数学に何を見出していたのかは僕みたいな凡人には知る由もありませんが、他人との共同作業、人間関係そのものに何らかの意味を見出していたのかもしれません。

■3

B
Q1、私は働くこととは、社会に価値を与えることだと思っています。
人間が社会の中で生きていくためには、特別な事情がなければその社会に価値を与えることは必須になってくると思います。(社会から自らを断絶する生き方を否定する意図はありません)
その行為の一般的なあり方が「働く」という行為になっているのではないでしょうか?
資本主義社会では、お金を稼がないといけないので働くという行為がお金を稼ぐという事と強く紐づいてしまい、社会に価値を与えるという考えは皆忘れてしまっている気がしますが。。。
その意味で、非営利組織の活動も働くという定義の中に入ると思います。
とはいえ実社会に出ると、特に私の属している営業職では利益最優先で、数字を作れる営業マンがとにかく偉いって話になってしまうんですけどね
この仕事をしていると、めちゃくちゃ稼いでる営業マンの逸話とか聞きますがあんなのは統計学でいうところの異常値みたいなもので、私は全く憧れません笑笑(そもそも憧れてなるものでも、なれるものでもないとは思いますが笑)
Q2、「好きなことを仕事にしよう!」これに関して私は、好きなことを仕事にすることにこだわる必要はないと思います。
現在私は自動車業界で働いてますが、この仕事に就くまでは車には全く興味がありませんでした笑笑
好きなこととは少しずれるかもしれませんが、私の学生時代の夢は一流大学に入り、そこから総合商社に入って世界中飛び回ってバリバリ働くことでした。(その夢は脆くも崩れ去りましたが笑笑)
なので学生時代の夢とは全く関係無い仕事をしていますが、今では車も好きですし、自動車業界もそれなりに面白いと思って毎日生きています。
そして、総合商社で働いている自分、今の仕事をしている自分を比べた時に、幸福度に関してはほぼ変わらないと思っています。(頭の中でどうシミュレートしても、大して幸福度変わりません笑笑)
なので、もちろん好きなことを仕事にできればそれはそれで素晴らしいことだとは思いますが、どんな仕事をしようと、どこまで行っても自分は自分、むしろ好きなことを仕事にしよう!という考えにしがみついてしまうデメリットは大きいので、そこにこだわる必要は無いというのが私の意見です。

マッキー
@B 労働が提供する社会的価値には、お金で測れない価値が存在するでしょうか。
非営利組織の行いも確かに労働だと思いますが、彼らも一人一人は給料をもらいながらやっています。その給料は財団や寄付金など、社会からそのニーズに応じて出されたものである以上、NPO活動の価値はお金で測ることは可能でしょう。では、ボランティアはどうか。その価値も図ろうと思えばお金で測ることは可能です。
では、お金で測る価値がすべてか?それもそうでない気がしますね。だからこそ評価経済ブームが起きたのでしょうが、この辺りは@D さんの、「労働とは必要とされていることをすることだ」論にヒントが眠っているような気がします。
・・・・・・
商社志望だったんですね!販売ディーラーもどちらもコミュニケーションスキル相当必要そうですし、なんだか筋が通ったキャリアを進まれている印象でうらやましいです。

■4

C
Q1
自分にとって働くことは将来への投資ですね。教え子がサイエンスの担い手になれば、人類のためにもなるし、自分の知的好奇心も満たされるので。
Q2
私は好きなことしか出来ないという病にかかってるので、仕事=好きなことです。多分ほかの仕事はできないと思います。

マッキー
@C 予備校講師をされている方に直接お聞きできる機会が少ないので聞いてみたいんですが、Cさんにとって、講師の仕事は①知識体系のインプット・②授業の場でのアウトプット・③学生の成績変化という結果、の3つに分けられるとしたらどれが最も”好きなこと”なんでしょうか?
なんとなくゲーム部通信拝読するにCさんは研究者肌な印象を持っていまして、講師職のどのような部分に面白さを抱かれているのか、もしお聞きできたら嬉しいのですが・・・
C
その中では①です。人生の優先度があらゆる知識のインプットに傾いているので、それがほぼ実務に直結する講師業は、好きなことをやってるだけで仕事になる職業ですね。
そう考えると、インプットと実務の近さに面白さを感じていると言えそうです。

■5

マッキー
早速コメントありがとうございます。
働くことの意味について、私も考えてみました。
切り口を変えれば、その意味は無限に発散しそうな気もしますが、とりあえず今思いつくだけ
並べてみます。多分これまで聞いたり見たりしてきたものの集合体です。
なお、全くMECEを意識していませんので、仔細は気にしないでください。
考える際のヒントになれば・・・
■働くことで、どんな価値を創造できるか。
①0⇒1の仕事
創薬/新定理の発見・・・
②1⇒10の仕事
③A→Bの仕事
いま存在するものの形を編集し、変形して新しい価値に変える。
■他者にどのような影響を与えるか。
①他者の抱える問題を解決する
②他者の感情を動かすこと
③他者の価値観やライフスタイルを変えてしまう。
■マスターピースを残す
・世界的建築物
・数学の不変の定理
・最高の酒を醸造する。
・最高の絵画を描く
■じぶんにとってどんな機会につながるか?
・収入/成長/感動/触発/学習/貢献

■6

D
ボーと考えていたらこんな時間になってしまいましたw
少しまとまりがありませんが自分が思うことを書きます。
なんで働くのでしょうか。お金を稼ぐためだと思います。
では、なぜ、お金を稼がないといけないんでしょうか。それは、お金がなければ生きていけないからです。
しかし、よくよく見てみると、本来は生きるためにしていた「はたらく」が、生きていくということそのものになっている事がある気がします。
はたらくこと=生きることは一面として合っている気がします。
では、生きるとはなんでしょうか。価値観などを排除した事実だけを残すと、人は生きるために生きているのではないかと思います。自分のしたい事をして、それをするだけで良い状態です。
「楽しいからやること=はたらく」は、一面として合っている気がします。当然、一面といっているようにこれは全てではありません。楽しいからやるではないものもあります。例えば、農業です。
楽しいからやる「はたらく」も農業のようなものも同じ仕事という括りになっています。
同じ括りになっているなら共通するモノがあるはずです。
必要とする人がいるということが共通するモノだと私は思います。農業はもちろん、食べ物を作るわけですから必要とする人がいます。楽しいからやるというものにもそれを必要とする人がいます。例えば、ミシュラン審査員です。食を長い間楽しんだ人がより深く楽しむための方法を示してくれます。こんなに長々と続けてやっとQに答えますw
Q1、はたらくということは、必要とされていることをすることだと思います。その中でやっていき、その枠から離れ、楽しいからやるというようになったら素晴らしいことだと思います。
Q2、好きなことを仕事にすれば、私が言っている素晴らしいことになりやすそうなので良いと思います。しかし、一面の話であり、仕事をすること自体は必要とされることをする事なので、こだわらないで良いと思います(やっているうちに、楽しいからやっているだけになる事もあるでしょうし)。どっちの方が楽そうかと言えば、こだわらない方だと思います。私たちが生まれる前に仕事は既にあるからです。

マッキー
@D 少し極端な例ですが、ゴッホはその生涯で絵が1枚しか売れなかったという有名な逸話があります。では、世の中のほとんど誰からも必要とされていなかった彼の、絵を描くという行為は労働ではなかったのでしょうか?
次に、彼が存命中だったころから売れっ子だったと仮定してみます。絵を描けば、その場で数億の値が付く売れっ子の彼がある程度世の需要も見据えながら書きたいものを書く・・・これは0.1ミリだけ労働に近づいた気がしませんか?
そして、最後に彼がフランスのパトロンにやとわれて毎月、パトロンが指名する風景の絵画を描き1枚1万フランで納品していたとしたら、彼の行為は労働となるでしょうか?
これは多くの人が労働性を見出すのではないでしょうか。
なんとなく一つずつ変数を動かすように考えていくと、労働っぽさの背景には①他者が必要としていること、と②自身がその必要に応じて表現を行っていること、の2点が存在する気がします。
極端に言えば、他者がそれを必要としていようとも、行っている本人に”それに応じている”自覚が全くなく表現しているのだとしたら、それは労働ではない気がします。
動物園のサルが客に無自覚に和やかさを提供しているのは労働ではない。しかし、ゴリラが客が喜ぶのが分かってあえて行うドラミングは労働と言える可能性がある。報酬制を伴えばなおさら。
取り留めなくなりましたが、頂いたコメントからそんなことを感じました。

■7

マッキー
おはようございます。
それでは木曜日となりましたので、次のセクションに移りたいと思います。
Q1.自分が働く目的とは何か?
※学生の方は将来こういう目的で働きたい!という思いベースで結構ですのでにコメント頂ければと思います。
Q2.就活における自己分析論に対する意見
・『自己分析論』と一口で言ってもいろいろあると思いますのでここでは、自身の価値観・性格・嗜好等を極めて時間をかけて明文化し、希望企業との関連性をがっちりロジカルに導きだすべきであるとの考え方を指すことにします。
目的は勿論一つではないはずです。お金のためでもあるし、自己実現や自己成長のためでもあるでしょう。それぞれの要素の存在感の違いを考えてみることで、その背景ににある何かを言語化してみませんか。
個人的な価値観に触れたくない方は、一般的な評論でももちろん結構です。
コメントお待ちしています。

■8

B
Q1.自分が働く目的とは何か?
働く目的ですが、私はまずお金ではないです。
理由は、もし私が今1000億円(生涯働かなくていいくらい)の資産があったとしても、働くと思うからです。
これは私の働くという定義が「社会に価値を与えるということ」だからですが、では社会に価値を与えることが目的かと言われたら、それも私の中では違います。
社会に価値を与えようとすることが重要であり、実際に社会に価値を与えるということが達成されることが目的ではないからです。
そう考えていくと私が働く目的は、人間として生きる(社会の中で生きる)ためだと言えます。
Q2.就活における自己分析論に対する意見
就活には自分自身をプレゼンするという行為が必要となることがあるため、自己分析をして自分自身について明確に答えられるようにするための準備としての自己分析には、企業に受かる可能性を上げるという点においては一定に効果はあると思います。
ただ、自己分析を行うことで希望企業との関連性をがっちりロジカルに導き出せるかというと、私はそうは思いません。
自己分析を本気で行っていくと、自分はそもそも企業とのマッチングとかいう以前に社会に出ないほうがいいんじゃないかという結論に達してしまう可能性もあり(実際私は一度この結論に達しました笑)、そうなってしまうと、自己分析の本来の目的である自己分析を行うことで希望企業との関連性をがっちりロジカルに導き出すという目的から大きく外れてしまい、むしろ自己分析になんかせずとりあえず条件の良さそうな企業を手当たり次第受けたほうが、自分に合った会社に入れる可能性が高くなる気がします。
なので私の意見は、自己分析は企業に採用されるための自己プレゼンをブラッシュアップするためには役に立ちますが、本当に自分と向き合い、どう社会、会社と関わって働いて生きていくかまで深堀してしまうと、単純に条件の良い(良さそうな)企業に受かる機会を逃してしまう可能性がある行為だと思います。

■9

E
自分はおそらく将来、働くことになると思いますが、それはほとんどの人が大人になったら労働し、働かない人は普通世間からあまり評価されないからです。学校にも近いことがいえそうです。
とはいえ、労働が発生しているこの世界には悪い印象はないです。様々な人が様々な労働を行うおかげで、文明が発達するのだと思います。文明は成功と失敗の遺産です。
ただ、みんな労働してるから、というのも大きい気がします。この先の未来で、人類が労働しない世界ができたら、なんであの時代の人たちは働いていたんだろう?なんて思ったりするかもしれません。
しかし労働しない世界をつくるためには相当技術(文明)が発達(完了)する必要があり、そのためには、その状態が完成するまでの労働が必要だと思います。
我々は労働を無くすために労働するというぶっ飛んだ発想がよぎったので、投下します笑

■10

F
僕も近い将来働くことにはなると思うのですが,「自分が働いている」という姿を全く想像できないですね.「会社で働く」という経験は面白そうなのですが,なんとなくすぐに飽きてしまいそうです(笑)
あえて奨学金を多めに借りたり給付型の奨学金に応募しまくったりしているので,バイトもイベントバイトみたいな「面白そうだな」と思ったものしかやっておらず「定期的に必要となるお金のために働く」という経験をしていないのが原因だと思ってますが.あとは知り合いに研究者や陶芸家や庭師みたいな芸術をやってる人が多いのもありますね.そういう人ってまさに「好きなことして生きている」人なのでいわゆるサラリーマンみたいな働き方があまり想像つかないですね.そもそも,趣味レベルだと言えるほど自分にとって苦痛にならない行為をやることでお金を持ってくるのって「労働」なんでしょうかね.よく言われていることですが,これからの時代は「労働」という行為の定義が曖昧になっていくと思います.さて,今一番自分がしたいこと(自己紹介参照)をして生きていけると仮定してみれば,働く目的というか,社会的役割は「今までにない視点から問題を解く」ということになるでしょうか.やっぱり問題解決する人が一番お金を持ってきやすいので.問題提起をするのは楽しいですがお金を得る目的ではやらない(やれない)ので「働く」とは少し違うかな.
僕は次の行動に繋げるため自分が何をやりたくて,そのために何ができるのかを再把握するという意味で「自己分析」を解釈したいのですが,就活に限らず必要な行為だと思います.ある会社で働くという選択肢が合理的だと思うならそれを実現するために自己分析は有益ですし(これがいわゆる就活における,志望企業との関連性を明確に説明する「自己分析論」ですかね),「会社で働く」というのも結局一つの手段ですから,就職以外の手段をとっても別にいいと思います.分析してみたけど何がやりたいとか訳わかんないから取れる手段を増やすためにとりあえず大企業入るぜ,まぁ志望理由はなんとなく取り繕うけどみたいな選択でもいいと思います.大体の学生はふわっとしたまま分析を終わったことにしてふわっとしたまま就職していくものだと僕は勝手に思ってますが,深い自己分析が必要な状況は来る人は来るでしょうしそのままふわっとしたまま人生を送る人もいるでしょう.分析するより目の前の好きなことをひたすらやり続けてたらいつの間にか山の頂上まで来ていたみたいな人もいると思います.どれがいいということではなく時が移ろい行くままに人によって「自己分析」が必要になることもあるしならないこともあるという感じですね.まぁ「自己分析」は有用となる場面が多いけど「人間は必ず目標を立て自己実現しないといけない」みたいな決まりはない訳ですし,自分の人生の価値なんて死ぬ前の一瞬に分かるくらいでちょうどいいものなんだからもっと静謐な心持ちで生きればいいんじゃないかな〜って思います.

■11

C
Q1.自分が働く目的とは何か?
好きなことをするためですね。

Q2.就活における自己分析論に対する意見
自分の欲望をシンプルにすることは重要です。

■12

A
・自分が働く目的とは?
やりたいことをするための資金の余裕作り。その中でやりたいことが達成されてしまえばラッキー。
・自己分析論への意見
自分を見つめるということは悪くない行為だと思います。それがたとえ企業に適するかどうかを考えるということであったとしても、自分の欠点や長所に気づけば何かしら真に得られるものはありそうな気がします。
ただ企業側は他人の自己分析を聞いて感銘を受けるなんてことはめったにないでしょうし、形式的なことではあるんだろうなと思います。なので自己研鑽の一環として捉えるのが1番ストレスフリーかなと思いました。

■13

D
Q1、自分が働く目的はやりたいことと必要とされていることを結びつけるというものです。
Q2、自己分析には意味があると思います。理由は2つあります。1つ目は、やりたいことと必要とされていることを結びつける行為になるからです。2つ目は、嫌でも自分のことが分かるので得られるものがあるからです。これらは、私の受験の経験から来ています。私は受験の科目として小論文がありました。この科目は、少なくても受けた場所では適性検査でした。そのため、私はアドミッションポリシーから求められる能力を確認し、それをもとに自分を小論文という道具を使って分析しました。これをしたことによって、自身がどれほどそこからかけ離れているかがわかりました。しかし、それでは嫌だったので練習をして近づけて行きました。結果として、僕はダメでしたが、そこで身につけた適性はすごく役に立っていますし、やりたいことと必要とされていることを結びつける経験が得られたので良かったです。

■14

マッキー
それではみなさん、お時間も回りましたので、終了したいと思います。
コメントを頂いたみなさんはありがとうございました。
働くことの目的や価値については、何となく社会人の方と学生の方で考えに差があるのかなという印象を持ちました。
それが実際に働いたことがあるか否かという情報の非対称性に結びつくものなのか、社会人の自己肯定的潜在意識
によるものなのか、あるいは学生時代特有の厭世意識によるものか分かりません。働いたことがあるといったって
そんなのは世界の砂粒の1つを知っているにすぎないわけですからね。ただ少なくとも、その意味を考えることは
生きる上でやっておいたほうが良いことだと思います。働くことなんて無意味でただのコストに過ぎないよ、
という人もとりあえずはそれを「コスト」というフォルダに放り込んでおくことが重要であると思います。
押しつけがましいかもしれないですが、自分で自分の人生に責任を持っていくための重要な準備体操なのかなとおもいます。
就活における自己分析については、私は割と否定的な立場です。人には好きなことがあって、それを達成するための目標があって
、その目標の延長線上に”夢”がある。これは正直なところ危険な考え方だと思います。
人は嫌なことでも、目標達成のためなら我慢できる生き物です。でも強い目標を自分の中に持てる人間なんであんまりいな
いんじゃないでしょうか。大体の人間は何となく生きてるし、信念があるわけではない。でも就活の自己分析論は学生全員が強い夢を
持たないといけないかのような錯覚を与え、何の信念や強い意志も持たない学生を洗脳し”夢フォルダ”を心の内に強制作成してしまう。
学生は就職後、その夢をかなえるために身を削り頑張る。”夢というのはかなえるためのものだからあきらめちゃいけない。” 
でも他人に作られたユメからは十分なエネルギーが供給されることなく、徐々に疲れ果てていく・・・・。
上記は私の妄想に過ぎないかもしれませんが、夢に憑りつかれて、夢に喰われていった友人を何人か見ていると、ふとそんな妄想が
よぎってしまいます。私の大学は特に就活大好きな大学でしたので余計に印象深かったのかもしれませんが・・・
締めのはずがかなりだらだらと書いてしましました。今週は「はたらくにんげん」ということでやらせて頂きました。
みなさま、おつかれさまでした!!

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