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あなたは八百万の神を信じますか?

おはようございます。

みなさんは八百万の神って言葉聞いたことありますか?自分は実家が商売をやっていた関係で、小さなときからこの八百万の神という言葉をよく聞かされて来ました。

若い人には馴染みのない言葉かもしれませんね。


八百万の神のって何?

八百万の神ってなんでしょうか?ウィキペディアではこのように書いてあります。

自然のもの全てには神が宿っていることが、八百万の神の考え方であり、欧米の辞書にはShintoとして紹介されている。日本では古くから、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。自然に存在するものを崇拝する気持ちが、神が宿っていると考えることから八百万の神と言われるようになったと考えられる。八百万とは無限に近い神がいることを表しており、多神教としてはありふれた考え方である。 またこういった性格から、特定能力が著しく秀でた、もしくは特定分野で認められた人物への敬称として「神」が使われることがある。
ウィキペディア


そうなんですよ。自然のもの全てには神が宿っているって言うことを、昔から強く教え込まれてきたんです。


例えば、家の庭にある木や石にまで神が宿っているという考えですので、庭の整理をするために石をどかそうとした場合、そこには神様が住んでいるので勝手に移動させると神様が機嫌を損ねるという考えです。

だから、庭の木を植え替える、石を移動させる、そんな些細なことでもお祓いをして頂き、都合の良い日時を占ってもらうんです。

そんなの信じないっていう人もたくさんいると思います。でも家を建てる時に地鎮祭って必ずやりますよね。

その土地には神様が宿っているから、土木工事や建築などで工事を始める前に行う、その土地の守護神(鎮守神)を祀り、土地を利用させてもらうことの許しを得る行事なんです。

ほとんどの人って関係ないように思えるんですが、実は関係が有るんですね。

特に、建設業関連では信仰がかなり進んでいると思います。もし、建設業関係で地の神様とか信仰していない会社が有ったらヤバいと思いますね。


なぜ信じるか?

ここからは本当に個人の考え方次第だと思うんですが、自分は本当に信じますね。

これも実例なんですが、家族が何故か調子が悪くなった時、一般的には医者に行って診断をしていただくと思うんです。

でも特に悪いところは無いと医者は言いますが、本人は明らかに調子が悪いんです。

それって自律神経失調症じゃないの?そう思われるかもしれませんが、本当にそういう時って有るんですよ。

商売柄ものみに見ていただくと、家の庭の何々になになにが影響しているから、なになにを取り除いて清めるようにと言われます。

簡単に言うと、石を動かすと動かした先の地の神様が石の重さで苦しいので、家族の誰かに助けてくれとのアラームを出す。アラームを受けた家族はなんだか分からないけど体調不良になったりする。

こんな感じなんです。


信じる信じないはあなた次第ですが、実際に自分はそういう事を1度や2度ではなく、かなり経験してきております。

そしてもう一つ身近な事例ですが、元部下の奥さんはいつも調子が悪いようで、肩が思いとか腰が痛いとか言って元部下に早く帰宅するようにいつも連絡が来ていました。

自分は元部下に気になって聞いてみたんです。元部下は新興住宅地に家を建てたのですが、地鎮祭はやったが地の神様は祀っていないとのこと。

そもそも、地の神様自体を知らないっていっておりました。

奥さんのけん以外にもいろいろ有ったようなので、騙されたと思って地の神様を祀ってみたらどうかと提案したんです。あとは、その元部下の考え次第なので、自分はそれ以上は言いませんでしたが。

このように、関係内容で関係が有るように感じます。だから八百万の神って言うのを自分は信じているんですね。



結局人は一人で生きていけない

こんな感じで、八百万の神を信じている自分は、物事なにか起きる場合、必ずなにかの原因が有ると思っております。

ある時は八百万の神が代わりになってくれて、ある時はその状態を家族に伝えて来ている。

自分は誰にも頼らず、自力で生きているから関係ないって思っている人もいるでしょうね。

でも本当でしょうか?

生まれてくるのは父母がいたわけだし、成長してくる過程でも育ての親っていうのが必ず存在しているはずです。

今を生きているのも、本当は自分ひとりの力じゃないように思えるんですよね。

支え合うから人という漢字が出来上がっていると言われるように、人はひとりでは生きていけない、そう思います。

そんな事を感じさせる今朝の出来事を紹介して今日は締めくくります。


今朝、突然嫁さんから電話が有りました。

実は35年以上出張と単身赴任を繰り返している生活を続けています。今も単身中ですが、今年はコロナの影響でそれでも自宅でのテレワークが増えた分楽になったのですがね。

電話の内容も、最近両親の調子も良くないので、なにか有ったのかと思ったのですが、全然違いました。

今年は最後の厄の前厄になっており、最近動悸が激しいなどちょっと調子を崩していました。

そんな状況を知っていた嫁が、昨晩LINEを送ってきたらしい。朝見ても既読になっていないので、LINEで電話をしてみても一向に電話が通じない。

それで心配になり公衆回線で電話をしてきたようだ。

電話に出ると、泣きそうな声でいつも直ぐに返信が来るLINEないし、電話しても出ない、どうかして倒れているかと思ったとのこと。

仕事にいかなければいけないが、心配で行けなかったと言っていた。

たまたま、LINEが来ていなかったみたいで、メッセージの表示もないし呼び出しもなかった。偶然が重なっただけだが、心配をしていてくれることに本当に感謝を覚えた。

気にしていないようで、本当はものすごく気にしていてくれる事に感謝しなくては。

一人で生きているのではない、そう朝から感じました。夜、もう一度お詫びの電話と感謝を伝えたいと思う。


じぇいかわさきです。生産技術者として35年、今まで培った経験とスキルを元に、ものづくりに関わる世の出来事に対して思ったことをホンネで書いてます。ノウハウやアイデアもありますよ。 また写真も全力で撮っています、気に入った写真があればサポートや感想をぜひお寄せください。