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【#2】お店側にとっての当たり前は見えないことが多いから。自分の権利は主張するしかない。

こんにちは、タツミです。
少し日が空いてしまいましたが、相変わらず元気でやっています。
今日はいつもと違う場所からのお届けです。

そのため、小さな変化も・・・?
それでは楽しんでいってください!

「あたり前」が蔓延している世界

あたりまえというのは不思議だ。
外からは簡単に見ることができるのに、「あたり前」の外からは見ることができない。

「あたり前」が蔓延している世界からはどうにも観測できないようなのだ。

新しく「あたり前」の世界に移住してきた人も、暮らしているうちに、「あたり前」の空気に侵食されていく。少しくらい違和感を持っていた出来事に関しても「このくらいいいか」とか、「まあいいか」という妥協思考、思考停止に陥って、考えるのをやめてしまう。

それほどまでに環境の力は強いんだということをここ数年で思い知った。というのも、かくいう僕自身も、この「あたり前」の世界に囚われていたからだ。

今日の朝、デニーズへ行った。なんなら、今日のエッセイはデニーズで執筆している。いつもなら家でやるところなのだが、なんだか気が乗らなかったのと、いつもよりモチベーションが下がっていたので、仕方なくデニーズに行くことにし、モーニングトーストを頼むことにした。

しばらくして、トーストと卵が運ばれてくる。しかし「それだけ」だった。メニュに書いてあるはずのトッピングが存在しない。バターとジャムがついているはずなのに。

慌てて店員さんに確認したが、呆気に取られたような顔で「えっと・・・トーストにはある程度バターがついているので、用意しなくていいと思っていました」と返された。ちょっとかわいめの新人さんっぽい女の子だった。

サービスとして提供しうるものは、可能な限り提供すべき

閑話休題。

「サービスとして提供しうるものは、可能な限り提供すべき。客が嫌がっていない限り」

これが僕の考えだったので、思わず僕は面食らった。

頭の中を光の速さで「なぜ?」が駆け巡って、お腹と背中がくっつきそうなくらい腹ペコなことなど、どこかへ行ってしまった。

ぼくにとって当たり前であったことは、店員さんにとってあたり前ではなかったのだ。

幸い、店員さんは優しかったのですぐに手配してくれたのだが、彼女は何を思って、トーストだけを持ってきたのだろうか?

もしかしたら、彼女は賄いで普段、トーストを食べていて、その時の癖が出てしまったのかもしれない。人は習慣になかなか抗うのは難しい。彼女には、トーストをバターとジャム付きで食べる癖をぜひつけてもらいたい。

小さな幸せを取りこぼさないように生きる


「自分にとって当たり前のものが他人にとって当たり前だとは限らない」というのは一度は聞いたことはあるだろう。だが、私たちは往々にして、自分の常識を世間や他人に当てはめがちだ。

それ自体は人間というシステムに組み込まれた性質みたいなものなので、半分諦めるべきかもしれない。だが、常日頃から何事も疑いをもって見つめていれば、こうした勘違いというか、思い込みは防げるのではないだろうか?

究極、自分の思考すらも自分以外の神の意志のようなものが入っているかもしれないと疑う。このくらいやれば、当たり前に惑わされることも少なくなるかもしれない。

逆にもし「当たり前」を押し付けられそうになったならば、遠慮なく自分の主張を伝えるべきだ。

今回のトーストのケースで言ったら「ジャムとバターがついているはずなので、もってきてもらえますか?」というだけだ。

簡単なことだ。ちょっと勇気を出すだけで、あなたの平穏は守られる。そうした小さな工夫をすることで、幸せを取りこぼさないようにしたい。

執筆後記

今回のエッセイは少しスタイルを変えてみました。
短めの小さなストーリースタイル。実はある人のエッセイを参考にしているのですが、それはまた別の機会に。

こうやっていろんな文体を楽しんでいってもらえるととても嬉しいです。
それでは、また次回の記事を楽しみにしていてください!


皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。