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IT版・地獄の判官

12月からプログラミングであったり、パソコンの使い方を教えるインストラクターのような仕事をしています。

こう聞くと、専門学校の講師かな?みたいな印象かも知れませんが、点数としたら100点満点の50点というところかもしれません。

一応自分は大学卒業までしているので、ぼんやりと感じることがあるのですが、中学校までの義務教育はともかくとして、高校・大学となると、自分で学ぶ意欲というのが重要になってきます。高校なんて現代ではほとんど義務教育レベルですし、大学全入時代とか言われても、たとえ名目だけでも、義務教育じゃなく、意志を持って進学しているんですから「学びたくて行っている」、言い換えれば、知識の習得は、学生側の努力が前提になるわけです。

大学になると、さらに推し進めて「何を学びたいのか」を決めた上で、学部や専攻を選んで学ぶわけですから、必然的に、学生の意欲というのは重視されるわけです。正しくは、重視というよりもそれがほぼ全てで「学ぶ気がないんだったら時間の無駄」ですし「なんのために学ぶか」なんてのは愚問だったりしますよね。

私自身は、大学の入学式だったかの学長挨拶で「大学は学問の入り口のカタログを紹介するところ。どの商品を選んで極めるかは個人次第」みたいなことを言われたのを今でも覚えています。

で、なんでこんな話を書いたかというと、今やっている仕事について。
一応、プログラミングの学習の指導や学習の補助ということをやっているのですが、もちろんそういうところでスキルをつけてエンジニアとして活躍をしていただくのが一番なのですが、プログラマというのは、素養といいますか、向いている人・いない人という壁もあり、単に技術的な問題とは別の問題もあったりします。

一人で好き勝手プログラムを組むなら問題ない場合でも、規模の大きいシステムなら数人~数十人で仕事をする場合もあるわけで、そうなってくると、単なる技術以外の、コミュニケーションの能力や、指示の仕方(設計書の作成などを含む)進捗管理と言った要素で、職業エンジニアとしては失格・・という場合もあったりするわけです。
そして、そういう人は、講師の立場で「引導を渡す」という場面があったりもするわけですね。野球の世界でいう「戦力外通告」のような。

一方でエンジニアを養成しながら、一方でいかにして「諦めてもらうのか」。このアンビバレントな関係をどう折り合いをつけていかないといけないのか、ということも、大事な仕事だったりもしますね。

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