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読書における「当たり」「ハズレ」について

最近はプログラミングの講師の仕事の関係もあって、技術書を会社のお金で購入する際に、その選定に携わっていることがあります(と言いますか、私がほしいといえば大体承認が出るのですが・・)
それでも、そういう恵まれた環境であるだけに、なおのこと、書籍の選定は頭を使います。例えば、自分がわかる・面白いと思う本ではなく、生徒の方が読んで役に立つもの、という視点で探すので、少し違う視点が必要だったりもしますね。(それでも10冊に1冊くらいは、遊びに走った本をこっそり混ぜてみたり)
買うのは経費精算の都合、Amazonだったりするものの、基本的に中身は書店で立ち読みで確認をしてから買うようにはしています。まぁそれが、他人のお金を使って書籍を買うという点での礼儀というか、義理だとおもいますので。

その点は、仕事の読書と趣味の読書の差、みたいものが発揮されるといいますか。

読書好きの人ってのは、基本的に、採算度外視的な読書をする人が多いのではないかと思っています。いわゆる「積ん読」であったり「雑食読み」であったり。

そういう意味で「コスパの良い読書」というのは、少なくとも読書好きとは縁が遠い気がします。いや、読書に限らず、趣味というのは多かれ少なかれ、コスパというものとはもっとも遠い気がしますね。私の趣味だと他には乗り鉄や模型作成、写真撮影とありますが、乗り鉄にしても、新幹線で1時間でいけるところをローカル電車で3倍位かかったりするのは普通だったりしますし。(大阪から名古屋まで在来線で、とかまぁ普通なので)

余談はさておき、私も興味(と資金)があれば、いろんな本を買ったり読んだりする機会はあるのですが、正直なところ、当たり・ハズレってのはあったりします。思ったより「う~ん」といいますか。

ただ、思ったより「う~ん」なもので、完全なハズレというのはないように思います。というより、なにか一文でも「おっ」と思うものがあれば、ハズレではないと思うんですよね。

冒頭の、勉強用の書籍という観点で考えれば、その「当たり」「ハズレ」という定義も、ちょっと異なるかもしれません。
たとえば、読みやすくて知っている知識が載っているのは、たしかにわかりやすい点では「当たり」かもしれませんが、新しい知識を習得するというのが目的だと、実は「少しズレた」書籍のほうが知見を広げる、という可能性もあるんですよね。そうなってくると「当たり」の定義というのは、また変わってくるように思います。

私もあんまりストレスをためたくない性格というのもあるかもしれませんが、99%が役に立たない内容でも、たった1文心に引っかかる文章を見つけたら、この文章を読むためにこの書籍は買ったのだ!元とった!くらいの、よくわからないポジティブさで読書という行為を楽しんでいる気がします。


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