見出し画像

インターネット時代の言論の自由

大学生の頃、自分は、今で言う情報学部の元祖みたいなところを履修していました。
元祖と書いたのは、理工学部の経営工学の情報専攻、という感じで、情報学部、なんていうしっかりしたものではありませんでした。
そのころの情報学というのは、電子工学の一部でパソコン使ったり、私のいたところのような経営工学の一部で生産管理のためにパソコンを使ったり、ゲーム理論の計算のために情報学を扱ったり、というような時代だったのですね。
今みたいに、インターネットはおろか、人工知能やIoTなんて想像の遥か昔のことです。

そんな時代に自分が学習していた内容は、今でもIT産業では根幹なところで役に立っています。プログラミング、データベースの扱い、通信技術の基本的なところなど、叩き上げのIT技術者という感じでしょうか。
そんな中で、少し異なった授業もありまして、マルチメディア論みたいな授業があった記憶があります。
自分と近い年代の方だと、マルチメディアという言葉を「懐かしい!」と思う方もいるかもわかりませんね。

その授業の中で面白かった題材がありまして、ちょうど1996~97年頃の話でしたが「インターネットの普及で今後どのようなことが起こるか予想せよ」というようなレポートを提出する、というものでした。

'96~97年頃の時代背景を示しておきますと、今皆様が使っているようなサービスはほとんど存在しない時代と思っていただいていいです。
いわゆるGAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)もないですし(Appleはありましたが、Macのハードウェアメーカーとして存在していただけで、今のiPhoneにつながるiPodもまだ存在しない時代だった)MicrosoftがWindows95を発表した直後で、TwitterのようなSNSも、ブログサービスもちろん存在しない時代です。ブラウザでWebサイトをみることと、電子メールを送受信できるのが「すげー」と思った時代でもありました。
ちなみに、ISDNやテレホーダイはありました。
一部奇特な人が「◯◯のホームページ」という自分のホームページを作る、というインターネット老人会のネタになるような時代です。
そんな時代だと、皆様だと、どんな未来を想像したでしょうか?

私がこのレポートで主張(「予言」)したのは、大きく2点だったのを覚えています。

  1. Webサイトは、雑多なものになる。それまでメディアでなんとなく区分けされていたものも、Webサイトで横並びになる。大学教授の立派な言説も、アダルトサイトも、同じようにアクセスできる。

  2. 自分でWebサイトを持つことで、自分の意見を主張しやすくなる。(自分は小説書きの趣味があったので)たとえば小説の発表は、それまでは出版社への持ち込みをしないとできなかったのが、Webサイトで簡単にできるようになる。

自分の想像はこのあたりが限界で、今のようにAmazonでボタン一つで通販ができたり、Googleで検索ができたり、2ちゃんねるのような掲示板が出現するというのは難しかったのですが、自分の「予言」はSNSや、このnoteで実現されているような気がします。

と、こんな話を書いたのは、「自由の危機 息苦しさの正体」 というものがSNSで話題になっていたからですね。




買って読んでいない書籍へのツッコミは、自分の中ではルール違反なのですが、執筆している方々のメンツを見て思うことを述べますと、別に世間一般の言論の自由の危機なんかではなくて、むしろ「言論がかなり自由になったから、もともとの著作のある人は息苦しいんじゃないの?」という風に感じます。

それまで、自分の意見を自由に書いたり発表できるのは、インターネット以前に言論の手段を持っている人たち、たとえば、出版社なりから書籍を出すことや、新聞、テレビに原稿を出す手段のある人達だけだったのですね。
しかし、インターネットで、Webサイトを持ち、今はSNSで自分の意見は(良くも悪くも)表明できてしまう。
私が書いたことの2の部分ですね。

これは、ある意見「A」に対して、アンチテーゼ「notA」をぶつけることがしやすくなったことも意味するので、今まで(古い定義の)「自由に」意見をしていた人は、反論をぶつけられる機会が増えてきたのを「息苦しくなった」と言っているように感じます。
要するに「(古い定義の)自由の危機」ということなのかな、と。

ここからは少しインターネットの話から少し外れますが、結局のところ、この「自由」というのを、どう捉えるかということかと思うのですが、「自由の危機だ、息苦しい」と感じる人達の「自由」というのは「好き勝手な意見」「自分の耳に心地よい意見」を「自由」と言っていただけでは?と感じます。

確かに、反論されると息苦しさもありますけれど、それでも、旧来のメディアで強い力を持つものだけが、反論のない好き勝手な意見を振りまく時代が跋扈するのがいい時代と思えず。

この程度で息苦しいと言っているようでは、インターネットの言論の世界で、弁証法的に、「A」と「notA」からジンテーゼ「A+」を生み出す世界は、まだ遠いのかなぁ、と感じますね。。。

ちなみに、今からインターネットの未来を予想しろ、とレポートが出されたらどう答えるでしょうか?
他にもAIであったりとか。
ただ、車の自動運転が実現したら、人間が回転寿司のネタみたいな運ばれるモノ化しそうなんで、なんか楽しくなさそうな未来しか想像できないですけども(苦笑)

この記事が参加している募集

今月の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?