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「私という猫」レビュー

昔のブログのストックから。

というわけで「私という猫」についてのレビューです。

長らく入手困難になっていた名作ですが、2024/11/1付けで、3巻合本版が発売されました。(私のレビューは旧作の2巻分です)

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さて、世の中に猫を題材にした小説やマンガは、ご存じ夏目漱石を筆頭にたくさんありますが、この作品と、そしてこれを書き上げたイシデ電という人は「凄い!」の一言しかありません。

猫を題材にした作品というのはどうしても猫を「かわいい物」という、人間から見た愛玩動物としての側面を描くことになります。なので必然的に「癒される」とか「ほっこりする」という印象になります。読んでて幸せな物になるというのが多いと思うんですよ(適当に主観で書いてます)

ところでこの「私という猫」については、これは猫が好きな人が読むと、大きく評価が分かれると思います。私のように圧倒されて息を呑んでしまうか、嫌悪感で燃やしたくなるか(笑)


内容をさらっとネタバレにならない程度に書きますと、「私」という自称で称される一匹のメス猫の視点で物語は描かれるのですが、「私」やその周辺の猫たちは、いわゆる野良猫として描かれています。
「私」は群れるのが嫌いだが、猫は群れていないと生きていけない。「私」も餌にありつくにも群れからつかず離れずマイペースで、時に面倒を起こしたり楽しんだりしながら、それでも飄々と生きていく様を描きます。
前巻のハイライトは、そんな群れの中で「ボス」と呼ばれる群れのボスの活躍と生き様が描かれます。
この巻については、ボスの人生(猫生?)とその周辺の野良猫たちの力強い生き様に、人間社会のそれを重ね合わせて共感して読むこともできるので、普通の人でも受け入れることは難しくないと思います。

圧巻なのは2巻に当たる「-呼び声-」篇です。
ボス亡きあとの群れたちは、次第に色々な形で野良猫としての凄惨な人生(猫生?)を送ることになります。
餌を十分に確保できずひっそりと死んでいく猫、人間に駆除されていく猫。
主役の「私」もあるときに、自らのミスで人間に捕まり、人間に「害敵」として悲惨な目にあってしまう。。。


私が思うに、猫を心底愛している人は、この作品を好意的に受け入れられると思いますし、単に「猫好き」なだけの人は、えげつない作品という感情だけが残ると思います。一種のリトマス試験紙、猫好きに対する踏み絵的な作品です。

「-呼び声-」篇は、特別に悲惨な表現はなく「現実はこうだよ」と提示しているだけなのに、どうしてここまで凄惨に感じるのか。私が感じるのは、人間社会も一皮むけば変わらないよ、と感じるからかも知れません。

この「私」の世界観では、野良猫だけではなくて、人間に飼われている猫も出てきて「飼われ」という形で少し蔑んだ表現で呼ばれたりもしているのですが「与えられるだけで何もしないで温々と餌がもらえる幸運」な猫たちが、他の猫を題材としたマンガや小説でキャッキャウフフと持て囃されて扱われているのならば、その戸板一枚めくると、野良猫たちの凄惨な生存競争が行われている、そういう姿を忘れるなよというメッセージのようなものを、私などは感じる次第です。

余談
3巻目「-終の巻-」にあたる部分を妻が持っているようなので、これから読んでみます。また感想が変わるかも。


おまけ
違う意味でホラーのようなギャグのような猫マンガ、伊藤潤二の「よん&むー」です。

犬派の岐阜県在住某漫画家J氏が、結婚して猫派の奥さんに押し切られて猫を飼い始めた時の実体験?のようです。
絵はホラー調ですが、中身はギャグですよ。お口直しにどうぞ。

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